十六夜綺譚





 秋の夜の、大気に溶け込んだ秋草に降りる夜露の香りに、鼻腔をくすぐられ、眠りに落ちた筈の金田一の意識は緩やかに覚醒した。
 なんと言う凛とした大気。そして、体中の毛穴に入り込むような、細かい光の粒子の気配を感じて、金田一はおや、と首をかしげた。
 夕べは、明智が出張と言うことで早い時間にマンションの寝室で就寝した。確かにその筈なのだが、今四肢に感じる室外の気配は何だろう?
 するり、と金田一の頬を風が撫でる。と、風に乗って微かになにか・・・そう、歌のような声が聞こえて来る。それがだんだんはっきりとした言葉で、金田一の耳に聞こえて来た。

『十五夜は人のもの。十六夜は我らのもの。』

 声は四方から聞こえ、なんども繰り返し、やがて金田一の居るすぐ前に大勢の気配は集合した。
 いぶかしみながら、金田一はその閉じた瞼をゆっくりと開いた。
 そこは、一面のすすきの原。煌々とした月明かりの中で金田一は、『何か』を手に座していた。
 
 なぜ自分はこんな所にいるのだろう。それに目の前のこれは・・・何だろう・・・?

 金田一の目の前では、有造無造の輩・・・人では無い、異形の者達が輪になって躍りながら存在していた。
 金田一の乏しい知識でも分かる、一目で妖怪変化と分かるような異様な者、人の形を取ってはいるが、頭に角らしきものの有る、人−霊止(ヒト)−ではない者。濃い山霧が「何か」の形をとったような正体の無いもの。
 それらの総てが口々に、
『十五夜は人のもの。十六夜は我らのもの。』
と、囃し立てながら、楽しそうに金田一の目の前で歌い、躍っていた。
 常識で考えれば、恐慌状態になって逃げ出してしまうのが当たり前なのだが、何故か恐怖感はなくそれどころか何かを・・・そう、手に持った『何か』で為さねば成らない事が有るような・・・そんな気がして、金田一はその場から立ち去る気にはなれなかった。
 心は凪いだ水面のように穏やかで、口元にはほほ笑みさえ浮かんで来る。

 さあぁぁ、と新しい風が一面の銀色のすすきの原を渡る。異形の者達の囃し立てる歌が変わった。

『さあ、集え、同胞〜はらから〜達よ。
 今宵は人に追われ、時代に押し退けられた我らの年に一夜の宴ぞ。
 人の形で街に紛れたるもの、昔ながらの闇に潜み深山幽谷に住まいたる者、古き神の系譜に連なる者も、皆皆集え。
 我らが銀の盟主の許、天女の系譜に連らなる者の許。そうして闇色の´華狩´を向かえよう。
 猛く、真白き獣神の背に乗りて、我らの´華´を狩る者を。』

 こう、と一陣の秋風が青く光り輝く、人の形をした月光を金田一の目の前に連れて来た。月光は、次第に円やかに質を変えて、やがてすべてを現す。

 ああ、なんだ。明智さん、出張なんて言ってこんなところに来てたんだね。

 目の前に立つ者。それは紛れも無く金田一の愛しい明智の姿だった。
 だが。月の光を身に纏い、まるで万葉集の図解にある貴夫人のような唐風の衣装を着た明智の様子は、誰もが知っている「明智警視」ではなく金田一の知っている素顔の明智でも無かった。まるでこの世の者では無いような、犯しがたい神聖なる物のようにその空間に存在していた。

 『おお、おお、おおお!盟主よ!我らが銀の盟主よ!!』
 異形の者達の歓喜のどよめきがすすきの原を揺るがした。明智はほほ笑みもせず、まるで超越者のように辺りを見渡すと、す、と手を異形の者達に差し出し凛とした銀の声色で言葉を発した。
「今年の´芯´をこれへ」
 しん、と水を打ったような畏敬の沈黙の中、しずしずと女の形を為した異形が幾つかのぼんやりと希薄に透けた、丸い靄のような物を銀の盆に乗せて明智に差し出す。
 明智が青白く光る綺麗な指先で触れると、その一つ一つは白い・・・いや、この世に有ってはならぬ色の華、蒼い薔薇−そうび−に姿を変える。
 おお、と言うざわめきが起こり、さわさわと異形の者がささやきを交わす。

 命数の尽きた人のその身は風に散り、雨に流されて行く。それは我らとて同じ事。
 だが、人のその御魂は滅する事なく次の世へと続くが、我らは御魂がない故、滅すれば途切れてしまう。
 したが、盟主の手で我らの´芯´を´華´に変え、華狩りの手で狩られれば、真に『命有る』何かに生まれて来る事が出来るそうな。

 さわさわと交わされるささやきを聞きながら、明智は口を開く。
「この華は、霊止を糧に仮そめの命を存えさせる事よりも、命数付きて後『御魂あるモノ』に生まれ変わる事を選んだ者たちの華」
 明智が一同を見渡し、華の一つを指に取って口ずける。と、その華は青く光りを放ち中空へと浮かぶ。
「そして私は、その昔、異形の者の想いに答えし天女の系譜に連なる者」
 おお、と異形の者達から歓喜の声が上がる。明智の白皙の顔の桃の花弁の様な唇が、ふわりと綻んだのだ。
「そう有りたいとそなた等が望み続ける限り、天女の系譜に連なる者と華狩りは、そなた等と共に有り続けるだろう・・・最後の異形の命数が尽きるその日まで」
 明智・・・いや、盟主はいとおしい者に向けるようなまなざしで、ほほ笑みながら合い集った異形を見渡す。 明智は蒼い天空へ両手を高く掲げ、凛とした声で一同に告げる。
「さあ、ククリの姫の住まう白き峰より、彼の姫神の眷属、獣の神を皆で呼ぼう。私と同じ、その系譜に連なる者が´華狩り´を連れ来るだろう」
 
 おおおおぉぉ!おぉぉぉおおおぉおおぉ!白き姫神の眷属よ!今こそ我らの願い聞き届け、闇よりも濃い宿生の内より、我らの´華´を狩るお役目を、´華狩り´連れ参らせ賜え・・・連れ参らせ賜え・・・

 盟主の呼び掛けに答え、異形の者達の祈りが遠く、東の空へ風に乗り、溶けて行く。
 どれ程の祈りの言葉が時に流れたのか。いつの間にか十六の月は天頂に懸かっていた。
 その天頂の月が、刹那の内にぎらりと輝いたと思う間もなく、異形の者達の中央、盟主の目の前にどおん!と轟音を起てて落ちて来た。逃げ惑う異形達。だが、盟主である明智は、微動だにせず、落ちてきた月を見据えてにっこりとほほ笑んだ。
 後ろに居る金田一が恐る恐る空を見上げると、落ちて来たはずの月は素知らぬ顔で中空に有り、煌々と青い光を一同へと降り注いで居た。
 蒼白く光り輝く月は、次第に小山程の大きさの獣の姿に形を変えた。
「・・・天女の末裔の者よ」
 深山に在る滝壺が奏でるような声が、辺りに滔々と響く。
「我は獣の神の末裔。そなた等の呼び掛けに答え、東の白き姫神の山よりこの地にまかり越した。したが・・・」
「したが・・・どうされたのですか?」
 獣の神が、ゆっくりと盟主の前にひざを着いて、背中を見せる。獣の神の背中では、黒衣の青年が暖かな白い毛皮に包まれて穏やかな寝息を立てて居た。
「我も、我の伴侶である´華狩り´も、現身は人で在るゆえ、自らの御魂の´お役目´を未だ知らぬ」
「こ度の´お役目´の引き継ぎは急な事でありましたので・・・。私の祖母がみまかり、私の思いで´お役目´を継ぐ現身を選びました故。また現身に取りましては、知らねば知らぬ事で良いと存じまする」
 盟主明智は獣神に礼を取りながら厳かに告げた。
「じゃが、こ度の´華狩り´、かつては人の血を浴びたる者じゃ。こちらの世では目覚めぬかも知れぬぞ」
 さわ、と異形の者より落胆のざわめきが起こる。それを盟主がすっと手で遮り、伏せた瞳を開いて獣の神を見詰めながら言った。
「・・・それは現身の貴方様と交わる事に因りて昇華されておられる筈。でなければこうしてお連れ下さることも不可能ではございませんか」
「・・・・・・」
「獣の神に置かれましては、こ度の御伴侶の現身が事のほかお気に召されまして、こちらの世界の事に拘わらせたくは無いお気持ちはご推察致しますが・・・」
 どっ!と異形の者達より嬌声が上がる。「やれ、こ度の盟主殿は手厳しい」と獣の神は呵々と笑った。
「したが、それは我ら´盟約の血に連なる者´の宿命。今宵は私の伴侶も連れて参りました」
「では、今宵は・・・絶えて久しかった伴侶の笛を用いるのか?」
 少々赤味を帯びた顔(?)をして獣神が金田一をじろりと睨んだ。

 笛・・・?じゃあ、俺が握ってるこれって・・・?

 その時初めて金田一は自分の手に持っている物を見た。銀地に金の糸で刺繍をされた錦の細い袋に包まれた物。折り返してある片方の布を縛ってある紐をするりとほどくと、中から横笛−龍笛−が出てきた。
 龍笛を手にした金田一を明智が見、目が合うとにっこりと・・・金田一が良く知る愛おしい明智の顔で・・・ほほ笑み、´大丈夫ですよ´と力強く頷いた。そして改めて獣の神に向き直ると、
「さあ、まずは現身の姿をお取り下さい。その方が´華狩り´殿も目覚めた時安心なさいます故」
と言った。
 獣の神は盟主の言葉にその身を大きく震わせながら、ゆっくりと人の形を取り始める。
 やがて。
 すすきの原に、黒衣の青年を大切そうに横抱きに抱えた、金田一が良く知る男の姿が現れた。そして、その腕の中で眠る青年も。男は、愛おしそうに眠る青年にそっとくちずけながら、夜露に濡れた草の蓐の上に青年の体をゆっくりと優しく横たえた。
「・・・さあ、目覚めよ、我が伴侶よ。目覚めておまえの役目を果たすがいい」
 だが、黒衣の青年は目覚めない。男が明智を見る。盟主明智は、ゆっくりと頷いて金田一の方に歩み寄る。
「・・・はじめくん。華狩りを目覚めさせるための笛を吹いて下さい」
「健悟さん、俺・・・」
 吹いたことないから駄目だよ、と続く言葉は、柔らかな明智の唇に遮られてしまった。
 深い深い、とろけるようなくちずけの後、明智は艶やかにほほ笑んで金田一に言った。
「大丈夫・・・君は吹けますよ。だってそれは´伴侶の笛´ですから。君以外のだあれも吹く事は出来ません」 明智が、龍笛を金田一の手に正しい形で握らせる。龍笛の頭は左、尾口は右。胸の七つの穴の内、上三穴は向こうから左手の中三指、残り下四穴は手前から右手の人差し指から小指迄充てさせる。そして、歌口に明智が軽く口付けてにっこりと笑う。
 その笑顔がこの世の物とは思えない程綺麗で・・・とても愛おしくて。戸惑いながらもどこか夢心地で、明智の唇が触れた歌口に唇を寄せて、金田一は大きく息を吸い込んだ。

 トー・・・ラロォーー・・・ルォロ、ターーーーー・・ルィトー・・・オールゥラァー・・・

 済んだ大気に滔々と金田一の´伴侶の笛´の音が鳴り響く。勿論、当の金田一にはなんという曲なのかは分からない。分からないが、歌口に息を吹き込むと自然に指が動き、勝手に調べを奏で始めたのだ。
 金田一の奏でる調べは、大気に溶け込み、風に乗って黒衣の青年の額に懸かった黒髪をゆらす。
 ぴく、と青年の瞼が動き、ゆっくりとその瞳が開く。獣の神と盟主を見詰めるその瞳の色は、金色。闇色の青年はゆっくりとその手を傍らで青年を覗き込む男の首に回し、自らくちずけをねだる。それに答えながら獣の神である男が細い体を抱き起こす。
「我が伴侶よ。おまえの役目を知っているか?」
「・・・知っている。我は、華狩り。華を狩って、輪廻の理にそれを放つ者だ、我が伴侶よ」
 ´華狩り´は、獣の神に抱き起こされながら、盟主へとその腕を延ばす。
「盟主よ。古えに取り交わされた盟約の元に、そなたが異形の´芯´の姿を変えし´華´を狩ろう」
 盟主は、先程変えた´華´の総てを中空に浮かせた。「華狩りよ、総ての´華´を・・・送ってやって下さい」
 華は、金田一の吹く龍笛の調べに乗って、華狩りの体の廻りを青く光りながらくるくると廻り始めた。
 華狩りは、金の瞳を閉じて瞑黙する。そばに寄り添って居た獣の神が、そっとその体から離れる。
 次第に華狩りを取り巻く風は強く、渦と成って立ち昇って行く。
 不意に、華狩りがその金の瞳をすっと見開くと、立ちのぼって居る風が金の炎に変わる。
 青い光を放つ華達は、金の炎の中でゆっくりと燃え付き、その炎に包まれたまま、天空の月へと向かう。

 おおおん、おおおおおぅうんん!!

 異形達の、歓声とも、慟哭とも取れるような声が上がる。夢の中で夢を見るようなその光景を見ながら、金田一は一心に笛を吹き続けた。頭の芯は蒼い光りと金の光の粒子に細胞を活性化された感じで光の粒が高速で廻って居るように痺れていた。大きく息を吐き出すために、意識は丹田に集中し、殆ど無意識のまま、金田一は最後の止手を吹き終わっていた。


 ふと我に帰ると、そこは先程までひしめいていた異形はおろか、生物の気配すら何も無く、ただ、西の空に傾きつつある月だけが、先ほどと変わらず青い光の粒子をすすきの原に立つ金田一に惜し気もなく降り注いでいた。
「・・・健悟さん?健悟さんっ!!」
 愛とおしい者の名を呼べど、だあれも答えぬすすきの原。在るのはただ、足元の自分の影のみ。
 足元の影が急に大きくなって、びっくりして金田一は背後を振り返る。
 月が。
 天空に居ます月が、ゆっくりと金田一目掛けて落ちて来てるではないか!?
「うっ・・・わあぁぁあ!!!」
 とんでもない恐怖を感じて、金田一は一目散に駆け出した。
 走っても走っても、天空の月はだんだん大きくなって来て、金田一目掛けて落ちて来る!!
 辺りは強烈な青い光りに包まれてきて、もう金田一の影さえ見えなくなって来る。
´駄目だ!!ぶつかっちゃうっ!!´と金田一が身構えた刹那、足元の地面がぼこり、と不意に抜けた。
「うわあぁぁぁぁ!!」
 金田一は、宙に浮いて落下して行く自分の体を、確か全身で感じ取って居た。


「痛ってぇぇぇえ!!」
 したたかに腰を打った傷みに金田一は重い瞼をこじ開けて見た。
 そこは、いつもと変わらぬ明智と金田一のマンションの寝室・・・の壁が逆さまに見えた。気が付くと金田一は世にも珍しい寝相のまま、ベッドからおっこちていたのだ。なんとか無事に起き上がって時計を見ると既に昼をとっくに回って居て。今更起き出して授業を受けに大学に行く時間では無くなっていた。
 金田一は寝起きのぼさぼさの頭を掻きながら
「今のって・・・・夢、だよなぁ・・・?」
と一人ごちた。
 その時、玄関の方向からがちゃがちゃと鍵を空ける音が聞こえて来た。
「ただいまかえりました」
 たとえ無人でもちゃんと帰宅の挨拶をするこの律義さは・・・さすが明智だ。
「お・・・おかえりなさい。健悟さん」
 罰が悪そうに頭を掻きながらあくび混じりに金田一が出迎える。
「あっっきれた!!どうして君がこんな時間にここにいるんですか!又寝過ごしたんですね?大学は!?」
 帰宅早々さっそく明智のお小言が始まる。いつもなら金田一もああだこうだとここで言い訳を始める所なのだが、今日に限ってはその元気も無かった。
「いやに大人しいんですね?まだ目が覚めてないんですか?」
 明智が出張の荷物をリビングのソファーに置きながら不思議そうに声をかける。
「・・・ああ、なんだか夢見が悪くってさぁ」
「夢?一体、どんな夢を見たらこんな時間まで惰眠を貪る事が出来るんですか?」
 どんな夢、と聞かれた金田一は答えに詰まる。なにせ、さっきまで確かに不可思議な夢の中に居たはずなのに殆ど思い出すことが出来ないのである。ただ、強烈な青い光りと、手に握った「何か」の感触の断片しか記憶に無いのだ。
「ん〜〜〜〜・・・忘れちゃった」
 たはは、と笑う金田一を見て、明智はふーっと脱力したように溜め息を付いた。
「ああ、そうだ。君にお土産があるんですよ」
 ふと思い出した様に明智が荷物を開く。
「えっ!何々??健悟さん!」
 現金にも金田一の寝ぼけ眼がぱっと開く。
「今回の出張の途中で、母方の親戚に会ったのですよ。で、これを君にってことずかって来たんですが・・・」 荷物の中から、なんだか奇麗な布に包まった棒の様な物を明智が取り出す。それを受け取った金田一の顔色が不審げに変わる。何だかこの袋とその中身を知っているような気がしたのだ。
「・・・これってもしかして・・・横笛?」
 明智がびっくりしてアーモンド型の奇麗な瞳を丸くする。
「なんで知っているんですか?君がこういうものに興味が在るとは知らなかったですよ」
 明智のちょっと気に触る言葉を無視して急いで金田一は紐を解くと、中から笛を取り出す。
 それは、龍笛と呼ばれる雅楽器だった。金田一はしげしげとその形と色合い、手触りを確かめて、やはりこれを知っているような気がしてならなかった。
「でね、これはとても古くてそれなりに美術品としては価値のある物らしいんですが、音が出ないそうなんです」
「・・・音、出ないの?これ」
「ええ。とりたてて欠陥が有る訳じゃないらしいんですが、誰が吹いても音が出ないんですよ」
「そんな大層な価値が有って、使い物に為らないもんをどうして俺に?」
 金田一が手の平の中で龍笛を弄びながら明智に尋ねた。
「それがね、なんだか君の事を聞いた母方の御祖母様が、亡くなる前に君に渡すようにって言い遺してらしたんだそうです。君には猫に小判と思うのですが、私も初耳で・・・」
 金田一が寝過ごした事が気に入らない明智の嫌み混じりの説明を聞きながら、金田一が何の気無しに歌口に唇をあてて、ふうっと息を吹いた。と、鳴らない筈の龍笛から澄んだ音色が響いた。
「あれ?音、出るよ、これ・・・どゆこと?」
「そ・・んな、ばかな。ちょっと貸して」
 負けず嫌いの明智が優雅な仕草で龍笛を構えて息を入れる、が、うんともすんとも音が出ない。
「そんな・・・?確かにさっきは・・・」
 金田一が横から手を出して龍笛をするりと明智から取り返す。
「音がでるって事はぁ、俺がこれを持つ権利があるって事だよね?会った事無かったけど、健悟さんのおばあちゃんって人を見る目あるよね」
 にしし、と笑う金田一。むむ、と口をへの字に曲げる明智。そのへの字に曲げた唇に金田一がちゅっと軽く口付ける。
「ありがと、健悟さん。大事にするよ」
「・・・大事にするだけじゃなく、ちゃんと越天楽の一つでも吹けるようになってくださいね?せっかくの名笛にふさわしい音色なんですから」
 わ〜かってるって〜、と軽く答えながら、金田一は出張で疲れた明智の為に、風呂の準備をしにバスルームへ消えていった。と、思ったらドアからひょこっと頭を覗かせて、
「ねえ、たまには一緒に入ろうよ!俺、背中流してやるからさ!」
とに〜っこりと笑う。
「ばか言ってんじゃ有りません!」
 明智はそう答えながら、ま、たまにはいいか、と思い直していた。
´夕べ、頑張ってくれましたからね´と、こっそりと笑う明智のスーツのポケットから、青い花弁がぽとりと落ちた。
「ねえねえ、その笛って名前有るの?」とバスルームから金田一の声がする。
「ああ、確か・・・´十六夜´って言うんですよ」

 
 花弁は、秋の傾きかけた日差しの中で、いつのまにかすうっと溶けるように消えていった。