お正月(原題:姫はじめ)

 時は元旦。ここは金田一と明智の暮らすマンションの最上階の一室…の、隣室。 光のどけきリビングのテーブルの上、あらかた片付けられた『燐家のヨメ専用』の普段と変わらぬ朝食−−シリアルとトースト、サラダとベーコン&エッグ(たまにボイルドエッグになったりもする)−−を横目で眺めながら、金田一は納豆と飯(燐家の旦那専用朝飯)をたいらげ、最後に出された正統派イングリッシュティーのストレートを盛大にずず〜っ!と啜り終えてたんっっ!とテーブルの上に置いた。
「は〜っ!食った食った!ごちそうさまでしたっ!」
「はい、お粗末様でした。食べ終わったら自分で食器片して下さいね、金田一君」
 幾分機嫌悪そうに燐家のヨメ−−高遠遙一がそっけなく言った。
「へーへー」


   いっくら元旦の朝押し掛けたのが気にいらないからって、これはないよなー…


 と思いつつも、金田一おとなしく自分の食器を流しに運び、かちゃかちゃと洗い始めた。
「言っときますけど」
 ぶつぶつ心のなかで悪態を衝く金田一に背後から高遠が声を掛けた。
「この朝食メニューは、いつもと変わらぬ私の朝食であって、君が押し掛けて来るとは思わなかったので私の分しかなくて、君のは必然的に猪川さんの朝食メニューになったんです。招かざるとは言ってもお客様の君に食器を洗って頂くのは、私が納豆が大嫌いで使った後の食器を触るのも嫌だからです。誤解しないで下さいね」
「……それって、猪旦那にも納豆食った後の食器は自分で洗わせてるって事?」
「ええ、そうですよ。で、それがどうか?」


   このヨメなら有り得る。


 食器を片しながら思いっきり納得してちょっとだけ猪川に同情する金田一なのだった。
 
 金田一が食器を片付け終わってテーブルに戻ると、今度は高遠が自分の食器を洗いに行ってしまったので、手持ち無沙汰な金田一は、テレビを点けた。画面の中では毎年恒例、関西系のお笑い番組をやっていて、金田一は見るでもなくぼんやりと画面をながめていた。


   …なーんか、妙な感じだよなー。元旦に高遠と二人で居るなんてさ…


 元日の朝から金田一が隣家に転がりこんだのには訳がある。

 金田一の愛しの(笑)明智は、30日から警視庁に宿直で泊まり込みに行って元日の夕方まで帰って来ない。せっかく二人で迎える初めてのお正月なのにぃ、とごねまくった金田一に、
「部下の中には既婚者で実家が遠い県外の者も居ますからね。年末年始くらい、ゆっくり過ごして貰いたいですから。東京に居る人間がこんな時に宿直しなくちゃいつするんですか?」
と、さっさと登庁してしまった。
表向きは独身の猪川は、当然居残り組になるはずだったのだが、毎年恒例の親族行事のため、金沢に帰省していた。
 当然、高遠も一緒に帰省するものと思い込んでいた金田一だったが、高遠は猪川と帰省しなかった。
 よくよく考えて見ると、表向き独身者で刑事の猪川が、犯罪者のヨメを親族の集まりに連れ帰る訳にも行かないのだろう。だが実は、猪川は自分の嫌いな「変装」をさせてでも、今回は高遠を連れて帰省する予定だったのだ。が、当の高遠が嫌がった。
明智の不在の間、実家に帰って大掃除を手伝うのもしゃくだし元旦の夕方には明智も帰ってくるから、とマンションに残ることにした金田一は−−頼まれてしまったのだ。

 ぼーっとテレビを見つめて考え事をしている金田一の所に、いつのまにか洗いものを終えた高遠が紅茶のポットを手に帰って来た。
「ねえ、猪旦那、いつ頃帰って来るの?」
「さあ…早くて夕方でしょうか」
 高遠が、冷たく冷えてしまった金田一の置きっぱなしのティーカップに、そして自分は新しく温めたカップに紅茶を注ぎながらそっけなく答える。金田一はそれを口をへの字に歪めて眺め、
「ねー、なんで猪旦那と一緒に帰んなかったのさ」
と、嫌がらせの意趣返しに問うてみた。
「あの人、なんで金沢まで帰ったか、知ってますか?」
「知らない。」
 高遠にしては珍しく、盛大に音を立てて紅茶を啜った後、カップをかちゃん!と皿に戻して深い溜息とともに次の言葉を吐き出した。
「鐘を衝きに戻ったんですよ、あの人」
「鐘って…除夜の鐘?」
「ええ。あの人の親族一同…檀家のお寺って言うんでしたっけ?そこに総勢30人ばかり集まって、除夜の鐘を衝きに行くのが毎年恒例なんですって。家長…御祖父様の命令で絶対外せない、とかなんとかで、帰省したのですよ!」
 これには金田一も少なからず驚いた。お土地柄…と言ってしまえばそれまでだが、今時そんな行事に親族総出で真面目に取り組む(?)所が有ったのか。
数々の「横溝な世界」(笑)に触れていたとは言え東京生まれの東京育ち。「今時の若者」金田一にはちょっと考えられない世界だった。
 でも。ちょっと待てよ、と金田一は思う。
「それだったら、そんな改まった集まりでも無いじゃん。充分あんたも知人友人で入っていけるんじゃ…?」

「冗談じゃ有りません。この寒いのに鐘を衝く為だけに金沢まで行ってなにが楽しくて夜中に野外で過ごさなくてはならないのですか?おまけに、鐘を衝き終わったらお寺の本堂でお坊さんのお話を聞そうなのですよ?そんな辛気臭い新年はまっぴらごめんです」
 そう一気に言うだけ言うと、高遠は再びカップに残った紅茶を乱暴に啜った。

……本当の所は、高遠は自分と東京で過ごす年の瀬よりも、金沢に帰る事を選んだ猪川にちょっとだけ拗ねていたり…するのだ。

 金田一は金田一で、少しだけ猪川に同情してしまっていた。


   『あいつに日本の正月の迎え方を、見せてやりたかったんだがな…』


 金田一に高遠の様子を見てくれ、と頼んだ時、猪川は少し淋しそうにそう言って笑ったのだ。

   なーんか、気持ち擦れ違ってるんだよなー…この夫夫はさー…

「…そっか」
 高遠の不機嫌にも見当は付く物の、言うべき言葉の見つからない金田一は、所在無さげにまたテレビのお笑い番組を眺める事に専念した。
「……それに」
 高遠がふと口を開く。
「一緒に付いて行ってもあの不器用な人がどこで俺のヨメです、なんて親族の前でボロを出すとも限りませんからね…」
 金田一は、高遠を振り返り、まじまじと眺める。
「なんですか?」
 高遠はカップを両手で抱え込む様にして、上目使いで金田一をじろりと睨む。
「…なんでも有りませーん」
 そう言うと金田一はテレビに向き直り、高遠に気付かれないようにそっと笑った。


  なんだ、大丈夫じゃん猪旦那。大事な所は擦れ違って無いよ。


「あーあ。健悟さん早く帰って来ないかなっと」


  今のこの会話を、健悟さんに早く教えてあげなきゃね。なぜって、人にはあんまり突っ込むなって言って置いて、高遠の事猪旦那以外で一番心配してる人だからさ。


 そう、実は猪川から頼まれる前に金田一は明智からも頼まれてしまって居たのだ。

「金田一君」
「え?」
 ふいに名前を呼ばれて高遠の方へ金田一は振り返る。
「お忘れかもしれませんが、僕は明智さんを諦めた訳ではありませんので。今年も隙あらば迫り倒しますので覚えて居て下さいね」
 と、にーっこりと高遠が笑う。
「お生憎様!隙なんか作らないよーだ。今日だって、帰って来たら姫初め(笑)するんだもんねー」
「では、今年もライバル決定って事ですね」


 あんたの気持ちが何処に有るのかなんて、とっくにお見通しだって言うのに…高遠って…


 とっくにライバル関係なんか無くなってるのに、と金田一は笑いながら、それでも
「ご丁寧な宣戦布告、痛み入ります」
と返した。

 窓の硝子で、新しい年の朝の光が弾けて笑った−−−

end



☆おまけ☆

「で、金田一君」
「ん?」
「さっき言ってた『姫初め』って…なんですか?」
「え?まさか、しらない…とか?」
「勿論知らない筈等有りませんよ。でもね、僕は自分の日本に対する知識が完璧なのかどうか常に確認しときたい訳ですよ。何事で有ろうと常に万全を目指す、これが僕の生き様のひとつなのですから。ああ、かと言って犯罪行為に走る為の知識欲では無いことはご理解頂けるとは思いますが?」


…ぜってー怪しいって…


多分高遠は知らないのだ。と、推理した?金田一はうむむ、と考える。


 考えて見れば、元旦だってーのに、なかなかそんな役回りじゃないか?俺…。そもそも、猪旦那が無理矢理高遠引きずって金沢帰ってれば済んだ話じゃん。…やっぱ、この落とし前は猪旦那に付けて貰うのが一番だよなぁ…






「おい、帰ったぞー」
 手に高遠のご機嫌取り用の和菓子の袋をいくつか下げて猪川は帰宅した。
「ああ、お帰りなさい。思ったより早かったですね」と、高遠が機嫌良く出迎える。
 玄関で靴を脱ぎながら、猪川は我が目を疑った。


 昨日…いや、去年の機嫌の悪さは何処に行ったんだ?


 しきりに頭に?マークを乗せながら、それでも機嫌良く出迎えてくれるヨメに、猪川も笑顔で土産を差し出す。
「ほれ、奥三峯と枕石。あと、正月だから花びら草紙も」
「しっとり系が好きなの、覚えていたんですね」
 にこにこと高遠が笑う。笑う高遠に引き込まれるように、猪川が上着を脱ぐ手を止めて、そっと口づける。
「明けましておめでとう」
「…おめでとうございます」
 ふふっと笑い合う二人。
 そのまま、猪川は高遠を抱きすくめようとして…すかっ!と交わされた。
「そうそう、お風呂とごはんちゃっちゃっと食べて下さいね。もうすっかり姫初めの準備は出来ているんですから」
「は?…今、なんと?」
「だから、姫初めですよ。知らないんですか?」
「い、いや、その……いつもとは全然積極的なお前は嬉しいんだがその用意…ってのは…」
「鐘の衝き過ぎでボケたんですか?今日、金田一くんに聞いたのですよ」
「!?」
「ほら、トランプもちゃんと用意しましたよ?」
 リビングに置かれたテーブルの上にあるトランプを前に、しばし猪川は固まってしまった。
「だから、姫初めって言うのは、年の初めの日に百人一首って言うカードゲームで夫婦で勝敗を競って、負けたほうがその一年勝った方の言うことを聞くって言う古い日本のしきたりなんでしょ?今は現代風にトランプを使って勝敗を決めてもいいって聞きましたけど?だから、ポーカーにしようかと思うのですが」


……今、高遠に「騙されてるぞ」と言うのは簡単だ。が、金田一は間違いなく刺されるな…


「ねえ、ポーカーで良いですか?」
「い、いや。俺はポーカーはちょっと…」
 猪川が力無く笑う。
「あっそう。僕は大の得意ですからポーカーにしましょうね」
 高遠が犯罪的な満面の笑顔で猪川の意向を無視して決定する。


 そう、実は猪川「鐘じゃないものを突かせて頂く」目論見で、ご機嫌取りの土産を買い込んで来たのだったりする。誰だって新年、今年も宜しくの意を込めて愛する人といちゃいちゃしたい物で有る(本当か?)。
そんでもって。いかに刑事と言う職業で有っても、正月からプライベートで血は見たく無いので有る。

 猪川は、新年最初の長い溜息をついて、



   今年はどんなにごねても引きずって帰ろう…


と、堅く決意したのだった。

 2002年元旦。「姫初めポーカー」の勝敗がどうなって、どんな無理難題が出されたのかは……又の機会とさせていただきます。
 本年もどうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m