浴衣の君は
残暑厳しい日中の聞き込みは、辛い。本日の仕事の唯一の救いは、ここがビル街立ち並ぶ都心ではなく、江戸情緒が色濃く残る古い商店が軒を連ねる中堅所の街、という所だろうか。 商店街の一画、さして大きい店構えでもない呉服屋の前でふいに猪川は足を止めた。店の屋号が入った吊り幕の奥、開け放たれた入り口の向こうにそれはあった。店の主人に断って、手にとって値札を確かめる。思ったよりも少しだけ値は張るが、そこらへんの量販店で吊しで売られている物とは明らかに染め、縫い共に格が上だった。並の男だったらいちいちそんな違いが分かる筈も無いが、そこは加賀友禅の本場で生まれ育った猪川の事。こうゆう物の目利きは確かな物だった。 まあ、小遣いを減らせばなんとかなる・・・か。 ふむ、と猪川は考えて店の主人に代金を支払い、手渡しにしたいからと箱に入れてもらった大きめの風呂敷包みを手にその店を後にした。 午前中の大学の講義が終わって、さて昼飯は何にしようか、と学食のあるフロアーに降りて来たとき、不意に金田一の携帯が鳴った。 「はい、もしもし?」 電話を取ってみるとそれは実家の母からで、今日の授業が引けたら実家に寄るように、との事だった。 「今日は健悟さん早いから、晩めし作んなきゃなんないんだけど?」 と言う金田一の台詞は押しの強い母に完全に無視されてしまった。二三といい、母といい、金田一家の女はなんでこんなに強いんだと今更のように思いながら、帰宅が遅くなる旨を明智にメールする金田一であった。 その日の夕方、大きな風呂敷包みを小わきに抱えて金田一は帰宅した。 「お帰りなさい、はじめくん・・・どうしたんです、それ」 「ただいま、健悟さん。あ、これおふくろから。気にいるかどうか分からないけどって」 金田一から受け取った風呂敷包みを手に、明智がリビングを横切って奥の部屋で包みを開く。 開いた包みから出てきたのはぱりっと糊の効いた、縫い目も真新しい浴衣だった。 「はじめくん、これ・・・」 冷蔵庫の麦茶を入れたラージサイズのグラスを手に、金田一が明智の隣に腰掛けた。 「おふくろがさ、本当はこう言うもんは嫁が旦那に縫うとか、旦那が嫁に買うもんなんだろうけど、ウチの息子じゃ気が利かなくて無理だろうからって縫ってくれてたんだ。俺のと二枚ね。・・・・健悟さん、どうしたの?」 包みを開いたまま、黙り込んでしまった明智の顔を心配そうに金田一が覗き込む。 「・・・ありがとう、とてもうれしい・・・」 そう言って明智はにっこりとほほ笑んだ後、言葉を詰まらせてしまった。明智はこう言う無償の好意に弱いのだ。世間から後ろ指を指され、自分の母親からは絶縁を言い渡された金田一との結婚(養子縁組)だったから、金田一の母を始め多くのひとの理解に支えられ寄せられる好意が明智には嬉しかったのだ。 そんな明智の気持ちは金田一にも痛い程伝わってきて。手にしたグラスを畳みに置くと、愛おしさに明智の肩を引き寄せて頬に軽く口付ける。 「・・・お義母さんに、お礼の電話、しなくちゃですね」 つ、と立ち上がりかけた明智の手を取って、金田一がにっこりと笑う。 「あ、健悟さん、もう少し・・・ここに居て?」 え?、と振り返った明智の体をやさしく金田一は引き寄せて、きちんと座り直させる。と、明智の分の浴衣を取り出して明智の肩に懸ける。 「うん、良く似合ってる。おふくろのセンスも、捨てたもんじゃないよね」 明智も金田一の分の浴衣を取り出して金田一の肩に羽織らせる。 「君も、良くお似合いですよ」 「ホント!?男っぷりが上がった?」 そうおどけて見せる金田一に、明智が笑う。金田一はほほ笑みながら明智をみつめて・・・そうっとキスを盗む。 最初は啄むように軽く、そして最後は深く。 甘い、甘い、二人しか知らない時間。 畳みに置いたグラスの氷が、からん、と鳴った。 「今度、これ着て夏祭りに行こう?」 「そうですね、お隣さんも誘ってって言うのも良いですね」 「うん、みんなで賑やかにってのも良いよね。あ、でも高遠・・・」 「・・・狐のお面でも被せとけば大丈夫じゃないですか?もともとお面が好きな人ですから」 幸せな二人は顔を見合わせて笑った。 「へ・・・へくしょっっ!!」 そのころ。 隣の猪川家では夕飯の支度をしていた高遠が大きなくしゃみを一つ、お約束通り盛大にやらかしていた。 「・・・季節外れの風邪ですかね・・・?」 気を取り直して、作っていた料理をダイニングテーブルに並べ出す。 本日のメニューは烏鰈の煮付けと焼き茄子に刻んだ茗荷を乗せた冷や奴。それにうざくと、茹でたての枝豆に冷たく冷えたエビスビール。 それを完璧なまでに整ったテーブルの上敷いた夏向きに井草で編んだランチョンマットにセッティングして行く。 断っておくが、別に猪川のために喜々としてやっている訳では無い。一応指名手配中(一応、どころではないんだが、それはこの際置いといて)の身である高遠は外に仕事に出る訳にもいかず、必然的に専業主夫をしていた。(変装すれば別にどうと言う事は無いのだが猪川が嫌がるのだ) 食事を作る事も「やるからにはなんでもとことん完璧に」がモットーの高遠としては、至極辺り前の「専業主夫のお仕事」だったのである。もっとも食べ物の好みは旦那の猪川が和食党のため、それに合わせて自然に和食が多くなったのだが。 料理と言えばイタリアンが大の得意であった高遠も、今では和食を作るのが楽しくなって独学でかなり腕前を上げていた。それはそのまま猪川を喜ばせる事になったが、高遠は意に関せず「私が作るんですから、当たり前でしょう?」と旦那そっちのけで料理への向上心に秘かに燃えていたのである。 「さてと・・・さっき帰るって連絡が有ったから、もうそろそろですね」 高遠が時計を見ながら自家製の瓜の浅漬けを切っていると、玄関のドアが開いた。 「・・・帰ったぞ」 「ああ、お帰りなさい。ご飯出来てますから先に片付けて下さい」 普通新婚ならば、ご飯にします?お風呂にします?それともわ・た・し?とか、色々と選択権が有ってもよさそうな物なんだが、と猪川も思う事は有った。が、こんな事でメゲていては高遠の旦那は勤まらないのだ。 リビングを抜け、奥のクローゼットに上着とネクタイをかけた後、件の風呂敷を手に猪川がリビングに戻って来た。 「なんですか?それ」 「開けてみろ」 猪川から手渡された風呂敷包みをリビング横のソファーで高遠が開く。 「・・・?なんですか、これ?」 「何って・・・浴衣だよ。仕事中、ちょっと目についてな」 「・・・」 「今日はそれしか用意出来なかったんだが、また帯も下駄も買って来るから、着て見せてくれよ」 「・・・??下駄??」 高遠は何故か不思議そうな顔をして猪川を見た。 「どうしてそんな物がいるんですか??だってこれは寝間着でしょ?」 猪川の手から、冷や奴のかけらごと箸がぽろりと落ちた。 ど・・・どこに寝間着用の浴衣にン万円懸ける奴がいるんだ・・・いや、もしかしたらいるかもしれんが。 「あのな、浴衣は寝間着だけじゃないぞ」 「だって、新婚旅行に行った時、旅館で寝る時浴衣だったじゃないですか」 「だから、そのな・・・」 その後猪川はすきっ腹を抱えたまま、日本の夏の風物と和装の文化についてたっぷり1時間かけて高遠に説明する羽目になってしまったのである。 イギリス生まれのイギリス育ち。日本文化の知識に十分精通しているとはいえ、時々肝心なところがどかっと抜けてるヨメ高遠なのであった。 その週の土曜の夜。高遠は明智家の和室にいた。その日は近くの神社で夏祭りがある日で、せっかく新調の浴衣も有ることだし、と明智、猪川の両夫夫で繰り出そうと言うことになったのである。 着付けが出来ない、人込みが厭だと愚図る高遠だったが 「明智に着付けしてもらおう」 と宥めすかされて連れて来られたのだ。 「猪川さんの和装を見る目には本当に関心させられますね、良くお似合いですよ高遠さん」 と、浴衣を羽織った高遠に明智が言った。それほどまでに、猪川が選んだ浴衣は高遠に良く映えていた。 そのくっきりとした若々しい藍色の染めは、高遠の白い素肌をより一層引き立て、細やかな縫いと上品な仕立て、そして同じく藍色の桔梗の意匠が凛とした存在感を醸し出している。それが高遠のほっそりとした四肢に実に良く映えるのだ。猪川と言う男は本当に趣味の良い男だと明智は感心した。 「あなたも良くお似合いですよ、明智さん」 明智は高遠が来る前に既に金田一と共に着付けを終えていた。明智の浴衣は紺地に上品な縞が入ったもの。金田一のは明智と色違いの白地に紺の縞が入った浴衣だった。 「ええ、ありがとう。お義母さんが用意して下さったんですよ」 明智が高遠の言葉ににっこりと笑った。その、はにかんだような笑顔が眩しくて、高遠は少しだけ目を細めた。 「さ、帯を締めますからじっとしておいて下さいね」 言いながら明智が高遠の腰に帯を持った両腕を回す。上から見下ろす明智の奇麗な襟足にどきどきして、高遠がそっと襟足に指を延ばした。 「駄目ですよ、高遠さん」 途端に明智から堅い声が帰ってくる。 「そんな風に私に触れても、私はあなたの物にはなれません。それはもう分かっているでしょう?」 「でも、僕はまだ、あなたの事を諦めた訳では有りませんよ?これからもあなたの事を思い続けます。明智さん」 「・・・私も、あなたの事を『自分のように』愛してますよ。そしてあなたも私を半身のように愛してる。そうでしょ?」 明智の言葉に、高遠が一瞬押し黙り、その隙に明智がゆっくりと優しい仕草で襟足に懸けられた高遠の指を離す。 「もう、いいかげんに解っているのでしょう?誰が一番、あなたを愛してくれているのか」 明智が高遠を見あげて悪戯っぽく笑う。 「あなたに猪川さんがいるように、私にも金田一くんがいる。そして私は金田一くん以外は考えられません」 「それでも、僕は・・・」 「こんなに猪川さんに愛されているくせに、我儘なんですよ、本当に」 明智が高遠の腰に巻いていた帯の、最後の一締めをきゅっときつく結んだ。 「さ、出来ましたよ、高遠さん。私達も行きましょう。きっと二人とも待ちくたびれてますよ」 そう言って明智は何事も無かったように笑った。その笑顔に高遠が胸の傷みと共にほほ笑み返す。 ぱたぱたと高遠をせかして出掛ける用意をする明智だったが、玄関の横で忘れ物を思い出したと言って、リビングまで取って帰った。 「忘れる所でした。はい、これ」 再び玄関に現れた明智は手にしたものを高遠に手渡すと、にっこりと笑った。 「え?これ・・・」 高遠が絶句しながら手にしたものは・・・紙で出来た狐のお面だった。 小さな神社の入り口の鳥居の横、ヨーヨー釣りの露店の前で猪川・金田一の二人の旦那はそれぞれのヨメを待っていた。 金田一は母の手縫いの浴衣、猪川はビンテージ物のジーンズに蒼いポロシャツと至ってシンプルな出で立ちだった。みんな揃いで浴衣にすればいいのに、と言った金田一の言葉に「俺が着ると洒落にならんほど任侠モノに似合いすぎるんでな」と猪川は笑って言った。 「おっそいなあ、二人とも〜。待ちくたびれちゃったよ」 「と、言いつつも大漁だな金田一」 金田一はというと、暇潰しにやり始めたヨーヨー釣りでかなりの成果を上げていた。赤いのやら黄色いのやら、青いのやら・・・を猪川は持たされていた。 「勉強以外の事には強いんだな」 「へへん、だ。ほっといてよ」 そう言って笑い合いながらも、まだ姿を見せないヨメ達に少し不安になる。 「やっぱり一緒に来れば良かったか・・・」 「もう、意外に心配症なんだから、猪旦那」 からりと笑う金田一に猪川が少しむっとする。 「・・・ヨーヨー、落としたぞ」 あちゃ〜!と、少し大袈裟に金田一が釣りの失敗をおどけて見せる。内心金田一もそう思っていたので動揺しちゃったのだ。 「まあね。俺も色々と心配だけどさ、こればっかりはしょうがないからさ」 よっと勢いを着けて金田一が立ち上がりながら言った。 金田一が色々と、と言ったのには訳がある。高遠が明智に恋情を持っていて、結婚した後も堂々とちょっかいを懸けて居ることを指していたのだ。そしてその事は明智も分かって居て、尚且つそれを上手くかわしながらも高遠に許している。 明智と高遠。この二人には、それぞれの伴侶とは別の、魂の結び付きみたいなものが有るような気がして、金田一も猪川もあまり強くは出られないのだ。まぁ、つまりは「惚れた弱み」と言うことなのだが。 「そうか・・・すまんな」 金田一は急に神妙な顔付きになって頭を下げる猪川を見て笑った。 なんだかなあ。この人、こんなトコが誠実って言うか可愛いいってゆーか・・・高遠もこうゆうトコが気に入ってるんだろうな。 なにせ、「あの」地獄の傀儡師・高遠遥一が専業主夫に甘んじて、逃げ出しもせず大人しく猪川と結婚生活を送っている。これはもう、金田一に取ってみれば驚異的な出来事だった。だが明智は、高遠が猪川のそばに居るのがしごく当然のように金田一に言ったのだ。 『なにも心配は要りませんよ。私にはじめくんが居るように、高遠さんにも猪川さんが居たって事ですよ。猪川さんは高遠さんを捕える檻にも、守る砦にもなると思ってましたから。』 明智にそう迄言われては金田一としても目の前の事実を受け入れるしかなかった。 そして高遠を「暇潰しの犯罪」に走らせる事も無く、専業主夫に納めてしまう猪川もただ者では無いのだ。 高遠が退屈しないだけの物を猪川が持っているとしたら、もしかしたらこう言う所も有るかもしれない。まあ、ヨソんチの事は分んないけどね、と金田一は思った。 「いいよ、お互い様じゃん。でも、本当はちょっとだけ嫉けちゃうけどーーー」 「そんな所も含めて惚れてるんだから、しょうがない、か?」 待ちぼうけの旦那2人は、顔を見合わせて笑った。 そうこうしているうちに、鳥居の向こうから人込みに紛れて尚、くっきりと艶やかな二人連れが歩いてきた。 「すみません、遅くなってしまって。出掛けに大切なこれを忘れてしまって」 と、明智が高遠のはすにかぶった狐面を指さす。 「もう、どうしてこんな暑苦しい物・・・」 その後ろでぶつぶつと高遠。 「あはは、良いじゃんそのお面。今までのお面の中で最高にいかしてるよ。」 むっとした表情で睨む高遠に、慌てて金田一が言う。 「でもあんたの浴衣姿なんて初めて見るけど結構似合ってんじゃん!」 賛辞を送りながら、「ね?猪川さん」と猪川の顔を見た途端、金田一の動きが固まる。 「?どうしたんです?」 と、ふと猪川に目を遣った明智も同様であった。 普段は「泣く子ももっと泣き叫びそうな」恐もての二枚目猪川の、蕩けるように破顔した満足げに幸せにほほ笑む姿がそこに有ったのだ。 えらいもんを見た、と絶句している金田一夫夫を尻目に、猪川はにこにこと高遠を見詰め続けている。 「〜〜〜〜〜!!」 猪川の視線に耐え切れなくなったのか、高遠が踵をくるりと返して、元来た方向に歩いて行こうとするのを明智が慌てて止めた。 「ち、ちょっと、高遠さん、どこ行くんです」 「もう、あんな恥ずかしい人なんか知りません!!勝手にそこでへらへら笑ってて下さい」 高遠は掴まれた腕ごと明智をずるずる引きずりながら帰ろうとする。 「ち、ちよっと!!健悟さんを連れてかないでよ!!」 慌てて金田一が追い掛ける。 はっと我に帰った猪川が、がっしと高遠の腕を捕える。 「あんまり似合ってるんで、つい見惚れちまった。すまんな」 「〜〜〜〜〜〜!」 平然と言う猪川を睨み付けた高遠の顔は、ほんのりと赤かった。そんな高遠を見て猪川は又、幸せそうにほほ笑むのだった。 「どうやら二手に別れてそれぞれお祭りを楽しんだほうが良いみたいですね」 明智がくすくすと笑いながら高遠の背中をぽん!とたたいた。 「そんな、明智さん!」 「はい、これ。赤いの好きだろ?」 金田一が戦利品の中から赤いヨーヨーを高遠に手渡す。高遠の手の中でちゃぷんと水音が鳴った。 「じゃあね。たくさん楽しんで来て下さいね」 そう言うと明智と金田一は猪川夫夫を鳥居のそばに残したまま、境内の人込みに消えて行った。 神社の境内の露店を一通り見て楽しんだ後、金田一と明智は境内の一画にある池のほとりに来ていた。 人込みから少し外れただけでも夜気は涼しく、同じように涼風を求めてやって来た数人のカップルと同じように、金田一と明智も石で出来たベンチに座っていた。 「・・・なんか、あてられちゃったね」 「ふふっ、そうですね。普段は仏頂面な猪川さんがあんな蕩けそうな顔するなんて。よっぽど嬉しかったんでしょうね」 金田一が差し出した黄色いヨーヨーを受け取りながら明智が答える。 「高遠もあんなに手放しで褒められたら、何も言い返せないよね」 「ええ、そうですね・・・」 ぽん、と明智が黄色いヨーヨーを一つ突く。 「・・・猪川さんなら、大丈夫」 「え?」 何気なく言った独り言を聞き返されて、明智がふふ、と笑う。 「うーん・・・」 「どうしたんですか?」 「健悟さんは、高遠が幸せになんなきゃ、駄目なんだよね?」 「はじめくん?」 「自分が幸せな分だけ高遠を傷付けちゃってるって、妙な罪悪感持ってるように俺は思えるんだ。でもさ、それって健悟さんともっともっと、も〜っと幸せになりたいと思ってる俺にも、高遠の事幸せにしたいって思ってる猪川さんにも失礼なんじゃないかなぁ」 「はじめくん・・・」 「後は高遠自身の心の問題でしょ?高遠だって本当は猪川さんに惚れてるって。惚れられてる自信が有るから、猪川さんもあんな風に高遠の前で蕩けそうに笑えるんだよ」 「・・・・・」 「きつい事言ってごめん。でも、妙な罪悪感なんて持たないで、健悟さんは俺と幸せになってていいんだよって事。それに、せっかく俺と一緒にいるのに、よそンちのヨメさんばっかり気に掛けられちゃったら拗ねちゃうよ?」 金田一がおどけて小首をかしげて見せた。そんな金田一を明智は少し泣きそうに笑って見る。 「はじめくん・・・本当に君は、良く見てますね」 「そりゃあ、大好きな愛する健悟さんの事だもん。猪川さんみたいに良い浴衣を買って上げられないし、気も効かないけど、健悟さんを愛してる事にかけては誰にも負けないもん」 えへへ、と照れ臭そうに金田一が笑う。つられて明智もふふっと笑った。 「君はいつも私に、必要な言葉をくれますね。私も愛してますよ、はじめくん」 「うん。だから、遠慮なく安心して俺と幸せになって下さい」 「はい」 明智がふんわりと笑って、ベンチに置かれた手に自分の手を重ね、頭をこつんと金田一の肩に乗せた。 そのしぐさが年上とは思えない程かわいくて、金田一がそっと明智の瞼にキスをする。 「だめですよ、はじめくん」 「大丈夫。暗いし誰も見て無いよ?」 明智のこめかみ辺りにもう一度キスしながら金田一が小さな声で言った。 「・・・じゃ、なくって」 「?」 「こんな所で火がついちゃったら困るでしょ?」 頬をばら色に染めて、小声で優しく制止する明智の手を握ったまんま、金田一がすっと立ち上がる。 「駄目だよ健悟さん。俺、とっくに火がついちゃった」 にこっと笑いながら、金田一が明智の手を取ってすたすたと歩き始める。 「?はじめくん?」 戸惑いながらも、神社の裏手の鎮守の森へと明智は金田一に促され足を踏み入れる。 大きな杉の木の陰に明智を立たせると、金田一は浴衣姿のヨメにしばし見惚れ、壊れやすい砂糖菓子にするように、そっとそっと口付ける。 「はじめ・・・くん・・・」 「こんな所でするのは、いや?」 金田一が明智の奇麗な首筋を、ちゅっと吸い上げながら尋ねる。 「ん、いやじゃ・・・ないから、困ってるんです」 「・・・ここなら、誰も来ないよ。だから・・・ね?」 金田一が浴衣の裾を割って、明智の華芯に触れる。 「あっ・・・」 途端に、ひくん、と明智が小さく震え、金田一の背に回した指に力が入る。 「・・・もう?」 金田一が触れた愛おしい物の先端は、子犬の鼻のように濡れていた。 「・・・いじわる・・・」 明智が金田一の肩口に顔を伏せながら、金田一の耳たぶを、かり、と噛んだ。 「いたっ!」 ふふ、と明智が含み笑いを漏らす。 「ね、はじめ・・くん、このまま・・・で、ね?」 金田一が明智の奇麗な首筋に舌を這わせながら、明智自身の蜜を指でからめとって、狭い入り口ををほぐして行く。最初は遠慮がちに一本。そして、明智の表情の変化を読み取りながら慎重に指を増やして、絡み付く壁の中でグラインドさせる。その度に艶増して行く明智の声に金田一の欲望もじりじりとあぶられる。 「あっ・・ん、ね、はじめ・・・くん・・っ・・・」 「なに?健悟さん・・・」 「そっと・・やさしく、して下さい・・ね」 「いつも、優しくしてるでしょ・・・?」 金田一が、明智に口付けながらうごめかしていた指を抜き取って入り口に自身をあてがう。 「じゃ、なくって・・・浴衣・・・」 お金じゃ買えない、お義母さんの愛情が込められた浴衣を傷めないように・・・ 「ん・・・。愛してるよ、健悟さん」 金田一が、ゆっくりと明智に押し入る。 「あ・・・、あぁ!んっ、私・・・も」 もどかしい程に優しい注送。浴衣を着たままの素肌の触れ合えない行為。自然に繋がりあった所に意識が集中して行く。普段とは違うこんな場所で、と言うちょっとした罪悪感も二人の官能を高めて、互いに火のように熱く、狂おしく求めあう。 「あ、あ。健悟さん、好い、よ。俺、もう・・・」 あまりの快楽に金田一がうめく。 「は・・・じめ、くんっ、私も・・・あ、あああ!!」 明智の終焉の甘くひそやかな悲鳴が、夜の森の中に吸い込まれて行った。 「ごめんね、健悟さん。無理させちゃった・・・でも、浴衣の健悟さんは、とっても奇麗で、格好良くて可愛いくって・・・色っぽくって、我慢出来なかった」 杉の木の根元に腰を掛けた金田一が、くったりと持たれ懸かる明智の髪を愛おしげに優しく指で漉きながら言った。 「いいえ、私も・・・同罪ですね」 「え?」 「浴衣を着た君は、なんだか大人びて見えて格好良くってとってもどきどきして・・・触れて欲しかったから」 明智が情事の後の艶を含んだ目元でふふ、と笑う。 「・・・じゃあさ」 「?」 「お家に帰って、今度はちゃんと・・・ね?」 にかっと笑う金田一に、明智はちょっと呆れつつ、年下の可愛い旦那に甘い自分を自覚しながらも、にっこり笑ってやさしい口付けを返した。 時間は少し戻って、こちらは鳥居の猪川夫夫。 「なんか気を使わせちまったな。どうする?探すか?」 「・・・」 「明智と一緒に廻りたかったんじゃないのか?」 「もう、いいです」 少し拗ねたように答える高遠の方に向き直ると、 「せっかく来たんだから、俺達も少し歩くか」 と、猪川が笑いながら手を差し延べる。 「?なんですか」 「面を被ってたら足元が見えにくいだろう?」 「結構ですよ。顔を覆うのには慣れてますか・・ら」 ふいっと顔をそらして歩きだした高遠だったが、面ではなく、慣れない浴衣の裾裁きにつまずく。 「おっと」 すかさず横から猪川が手を差し延べて、笑う。 「大事なヨメに、もしもの事が有ったら大変だからな」と、ちゃっかりと高遠の手を握ってしまった。 190cm近くある恐持ての大男が、浴衣姿の年若い青年の手を握り締めてにこにこと笑っている姿は、はっきり言って異様な光景としか言いようがなかった。が、当の猪川は別段気にするようでもなく、そのままずんずんと夜店の立ち並ぶ参道へと高遠をひっぱって行く。 思えば結婚前、高遠とちゃんとしたデートなるモノをしたことが無かった(当たり前だ・汗)猪川が、普段より少し浮かれ気味だったのは仕方ない事だった。 「ち、ちょっと!待って・・・」 「ん?」 「分かりましたから・・・せめて腕に捕まらせて下さい。これではあんまり目立ち過ぎる」 高遠が周囲の人間に目をやる。ん?と、猪川も釣られて目をやるが、それまで異様な光景に目を奪われていた周囲の人々も、猪川と視線が合うのを恐れてぱぱっと目をそらした。 「・・・そうか?俺は気にせんぞ?」 ぱこっ!と高遠が調子に乗るなとばかりに景気良く猪川の顎に一発入れたあと、襟首をひっ捕まえて、 「なんでしたらこのうっとおしいお面を取って、そこのお祭りの警察警備本部に駆け込みましょうか・・・?」 と小声かつ青筋マーク付きで脅す。 「・・・すまんな」 流れでる鼻血を押さえ、首の後ろを自分でとんとんと叩きながら猪川が言う。並み居る凶悪犯に睨みを効かす警視庁の鬼警部でも、事自分のヨメに対してはどうにも二枚目半、いや、三枚目に成り下がってしまう猪川だった。 「さあ、私に日本の夏の文化を楽しませてくれるんでしょう?行きましょうか」 旦那を鉄拳制裁して少し気が晴れたのか、すっきりとした顔の高遠がにっこりと笑って猪川の腕を取った。やっぱりこのヨメって・・・怖い。 植木市に金魚すくい。風鈴売りとかき氷に焼きもろこし。わたあめにりんご飴。食べ物所が多いのはご愛嬌だが、高遠は、猪川の連れ廻るままに大人しくついて廻って一つ一つを興味深く眺めた。 元々小食の高遠は何も口にしなかったが、一つだけ・・・赤いルビー色のりんご飴を猪川にねだって買って貰った。 境内の一画に設けられた盆踊りの櫓のそば、人込みを避けた大灯籠の前を通り懸かった時、猪川がちょっと休んで行こう、と高遠を灯籠の段に座らせた。 「大丈夫か?」 「何がです?」 「足、見せてみろ」 そう言うと猪川は高遠の足元に屈み込み、下駄を脱がせた。高遠の両足の親指と人差し指の間は下駄の鼻緒でこすれ、皮膚が赤く剥けていた。 「やっぱりな。さっきから歩き方が妙だと思った」 「ああ、何だか痛いなと思ってましたけど・・・大丈夫ですよ、これ位・・・」 突然つま先に猪川の唇の感触を感じて、慌てて高遠が足を引っ込めようとする。が、猪川の大きな手に足首をつかまれてそれは果たせなかった。 「だめだ、じっとしてろ」 猪川の濡れた舌が、傷口のごみを嘗めとって、ぷっと吐き出す。痛痒いようなその感覚に高遠が僅かに身じろいだ。 「・・・これ位の事だからこそ、ちゃんと俺に言ってくれ。それとも俺は、こんな事くらいでも弱音を吐けないくらい頼りないか?」 猪川が少し寂しそうな顔で高遠を見上げ、高遠は何か言いたげに口を開きかけ、そのまま瞼を閉じてふいっと横を向いた。 猪川はふ、と笑ってもう一方の足も同じ様に清めると、自分の履いていたスニーカーを高遠の両足に履かせる。 「少しでかいが痛むよりは良いだろう」 そう言って自分は高遠の履いていた下駄を引っ掻けた。 「さてと。どうする?帰ってちゃんと手当をするか?それとも、もう少し見るか?」 「・・・帰ります」 ぽつりと無表情につぶやくと、高遠は買って貰ったりんご飴と金田一に貰ったヨーヨーを手に歩きだした。猪川は傷が痛むのだろう、と敢えて何も言わず高遠に並んで歩きだす。 からんころんと猪川の履いた下駄の音を聞きながら、高遠は自分の中の複雑な感情に戸惑っていた。 言わなかった訳じゃない。足が痛いのなんか気にならないほど楽しくて・・・気が付かなかった。自分でも気が付かなかったのに、どうしてこの人にはこんなささいな事でも気付いてしまうのだろう。 『もう、いいかげんに解っているのでしょう?誰が一番、あなたを愛してくれているのか』 ふいに、先程の明智の言葉が蘇る。あのあと、待ち合わせた鳥居のところで猪川の顔を見たとき、明智との事でちくちくと痛んでいた胸が楽になって・・・実はなんだか泣きそうになってしまったのだ。 もともと本意ではない結婚だったし、生ぬるい生活も飽きてしまえばさっさとカタを着けて、いつでも出ていってしまえば良いと思っていたけど・・・。 気が付けばかなりの距離を無言で二人歩き続けて、後少しでマンションと言う辺りまで帰って来ていた。ふいに高遠が立ち止まる。 「どうした?痛むのか?」 「・・・痛い」 高遠は振り返りはすに被った狐の面の下から一言だけ言って、そのまま俯いてしまった。なんだかその仕草が、小さな子供のようで、猪川は笑って高遠の頭をぽんぽんとたたく。 「・・・すぐそうやって子供扱いする」 ・・・後にも先にも「地獄の傀儡師・高遠遥一」を子供扱いして甘やかす事が出来るのは、猪川だけだであろう。 「わかった。・・・もう、殴るなよ?」 猪川がその大きな背中に高遠をよっと背負って、マンションへ向かう道を歩き始めた。高遠は猪川の大きな背中に揺られながら、そっと目をつむった。そして猪川の体臭に包まれ、安心して素直に身を任す自分に苦笑しながらも憎まれ口を言ってしまう。 「こんなに足が痛いのも、あんなに恥ずかしい目に会ったのも、全部全部あなたのせいなんですからね」 「ああ」 「だから、あなたが馬になって私を背負うのも当然です」 「そうだな」 「もう、聞いているのですか?」 「全然。」 ぽかり!と高遠が猪川の頭を叩き、猪川は楽しそうに笑った。 「さてと。救急箱は・・・と」 帰宅して、すぐに救急箱を取り出す猪川を尻目に、高遠は換気のため次々に窓を開け放っていった。夏の盛りとは言え、立秋を過ぎた高層マンションの上部を吹く夜風はそれなりに涼しく、室内のこもった熱気を押し流してくれる。 秋きぬと、目にはさやかに見えねども・・・・か。 猪川がそんなことを考えていると、部屋の明かりがふいに消えた。 「?」 「停電ですかね?」 高遠が奥の部屋から声をかける。猪川もいぶかしんで寝室のベランダから外の様子をながめると、マンションの回りの建物だけ照明が落ちていた。 ベランダから見える余り離れていない箇所のいつもと変わらぬ夜景を猪川と高遠は見詰めた。 「この辺だけらしいな」 猪川の隣で夜景を眺めて居た高遠が、不意にくすりと笑って言った。 「いつのまにか、夜が暗い事なんて忘れてましたよ」 昔は闇に身をひそめる事が日常だったのに。この男の側で暮らすうちに、いつのまにか私は・・・ 「忘れたままでいいさ」 高遠の肩を引き寄せて互いの唇が触れ合いそうな位置で猪川がつぶやいた。 「・・・思い出しそうになったら俺が何度でも忘れさせてやる」 浴衣の上から高遠の体のラインをなぞっていた指が腰に廻り、帯の結び目に辿り着きしゅ、と解きほどいて行く。 「もう、闇の中には帰さん」 「・・・・・」 高遠は何も言わず、猪川の目を真っすぐに見詰めた。ほどけた帯はそのままに、猪川が高遠の体を抱き上げて、ベッドに横たえた。はだけられた浴衣の合わせから差し入れた手で高遠の体をあらわにしながら、小さな突起を猪川が尖らせた舌で嘗め上げる。空いた片方の手で開かせた足を下から上に何度も撫であげると、高遠の細くしなやかな体が快楽の予感に小さく震えた。 「私が闇に帰ってしまったら・・・?」 高遠は、性急な愛撫に急激に熱くなって行く呼吸を宥めながら猪川に尋ねる。 猪川の唇が薄い高遠の横腹を滑り降り、腰骨の辺りを軽く噛むと、高遠の体がびくりと撥ねる。 「んっ・・・!」 「そんなことはさせん」 薄く付いた歯の跡を猪川は何度も念入りに嘗めながら、頬に当たる立ち上がりかけた花芯に指を絡ませ少し乱暴に根元まで剥くと、そのまま根元を達する事が出来ぬようにきゅっと締めてしまう。 「ひ・・ぁ!」 高遠のしなやかな足を開かせ、最奥に咲く華を尖らせた舌先で開かせ濡らして行く。握り込んだ親指で華芯のくびれを嬲ると、猪川の愛撫に答えるように透明な蜜が滴り落ちた。 「んんっ、あ、ああ、あ・・・」 「だが、もしも・・・」 猪川がジーンズのボタンとジッパーを降ろし、猛る自身を高遠の入り口に宛てがいながら、情欲に掠れた声でつぶやいた。 「もしも、力及ばず・・・おまえを闇に帰してしまったら・・・」 猪川が高遠の両足を大きく開かせながら、猛る欲望でずず、と一気に高遠を穿つ。 「あ!あああ!!」 同時に、指で戒めた高遠の物を離すと猪川の腹で呆気なくそれは弾けた。 締め付けてくる快楽の波をくっ、と堪えながら、猪川は喘ぐ高遠に深く口付ける。 「・・・地の果てまで追い掛けてやるからな。覚悟しろよ?」 「それは・・・お断りしますよ」 高遠が自分を抱き締める腕に口付けて、ゆっくりと猪川の背中に腕を廻しながら熱い吐息でつぶやいた。 「だから当分、この腕に捕えられて居てあげます」 猪川は大きく目を見開いてから・・・嬉しそうに笑った。 「当分、か?」 猪川が、穿った欲望で高遠の腰を浅く、深く、ゆすり上げる。 「う、んん、そ・・うです、いつか飽きる・・迄、です」 「じゃあ、飽きさせ無いよう、に、もっとかわいがってやらんと、な?」 猪川が再び立ち上がり始めた高遠に手を添えて、自分のリズムと合わせて擦り上げる。 「く、ふっ・・・!ばかっ!そ、ゆ、意味じゃ・・・」 高遠の後の言葉は、再び塞がれた猪川の舌に熱い吐息ごと搦め捕られて、2人同時に果てるまで意味を為すことは出来なかった。 翌日の日曜日の午後。それぞれの旦那達は、「夕べ無理をさせたから」と夕食を自分達で作るのだとはりきって買い物に出掛けていた。猪川の部屋のベランダには、猪川によって奇麗に洗上げられた高遠の浴衣が、残暑の風を受けてはためいてるのをお茶に呼ばれた明智は見た。 「どうしたんですか?あれ」 「ちょっとね、汚してしまったんですよ」 ふーんと明智が高遠を見て、意味ありげに笑った。 「言って置きますが、停電が有ったのも知らない時間まで遊びほうけて居た方に何も言われたく無いですよ?」 と、高遠が明智の薮蚊に刺された腕を指さす。明智が慌ててちょっと赤くなってこほん、と一つ咳をした。 「それで、昨日のお話の続きですが・・・猪川さんの愛情に伴侶としてきちんと答える事は出来そうなんですか?」 高遠が優雅にティーカップをソーサーに置きながら明智に言った。 「不本意ですがね。受け入れる事は出来ました。それにいいかげん、ちゃんと自分の気持ちも納得する事にしたんです。・・・これも、不本意ですが」 まったく意地っ張りなんですから、と明智は笑った。 「それが一番ですよ。愛し、愛される伴侶と共に過ごす事が、お互いに幸せなのですから」 「でもね、明智さん。あなたもご存じのように僕ってば我儘でよくばりなんです。あの人の腕に捕えられて甘やかされる幸せも、あなたを手に入れる幸せも両方欲しい。ですから、これからも変わらずあなたに迫りますので、どうぞそのおつもりで居て下さいね♪」 呆れ果てて茫然とする明智に、高遠は楽しそうににっこりと笑いかけた・・・ 満面の笑顔でほほ笑む高遠はとても幸せそうで・・・ 明智は困惑しながらも何も言い返すことが出来ず、ただただ・・・ 大きな溜め息を付くのみだった。 |