月齢0



 男の固い樫の木のような腕が、まるで支配者のように私の両足を押し開く。
鋭い痛みと共に、男の太い幹が奥へとねじ込まれて行く。
 ともすれば意識を失いそうな程の質量を飲込まされて、、悲鳴を上げる体を宥めながら男の二の腕にぎりりと深く爪を立ててやった。引っ掛かれた腕の痛みに、男の顔に軽い苦痛が刻まれる。  爪痕から滲み始めた赤い血を指にとって舌のうえに乗せると、苦い鉄の味がした。

 私の両の手首を難なく片手でシーツに押し付けながら、

 「毒蛇が……」

 と忌ま忌ましそうに男が呟く。呟きながら体をきつく揺すり始める。

 男の言うところの「毒蛇」の腹の上で踊る男は滑稽で、つい失笑してしまう。それが、男の嗜虐心を煽ることが分かっていても、笑わずには居られなかった。  

           

 ・・・・この男も、そして私も、狡猾なこのゲ−ムをいつまで続けるのか・・・・

                                       

 

 


 犯罪芸術家を自称する殺人者と、警視庁捜査一課の刑事。(男は地方都市県警から異例の出世で警視庁に移動した)初めて出会った頃、男はまだ金沢にいた。出会ったときの男に対する感慨は、いまでもはっきりと憶えている。 なんと自分と違うタイプの「男」なのだろう。2メ−トル近い長身と厚い胸板。実践向きの長い手足。がっしりとした堂々たる偉丈夫に、女好みの精悍で端正なマスクがくっついていた。線の細い自分とは対局の……コンプレックスを刺激するに足りる……完成された「見事な雄」の姿がそこにあった。

 
  追われるものと、それを追うもの・・・・その関係は出会ったときから変わらない。    


 この男が、金沢での至極私的な事件に関わった後、男にとって非常に有利な条件を提示したにも関わらず、交渉は決裂してしまった。逮捕するには有利な条件で有ったため、その時男は自分の勝利を確信していたに違いない。
 そして男は……その場で私を力ずくで犯した。快楽も何もなく、ただ惨たらしく私は男に引き裂かれた。捕えられてもいつでも逃げ出せる自信はあった。私を真実捕えられる檻など無いのだから。
 だが、どういう訳か男は私を逮捕しなかった。その後私は意趣返しに、男の年老いた母親を捜し出し殺害した。母親は何故か、微笑みながら死んでいった。

 怒り、嘆き悲しむ男を嘲笑うために私は再び男の前に姿を現した。だが、男は何も言わずただ酷く私を求めた。
 男は強く、したたかで見事な“雄の獣”。その獣をより深く傷つけるために、私は再び抱かれてやったのかも知れない。

  おそらくは初めて対峙した時から、この滑稽なゲ−ムは始まっていたのだ。追いつ追われつ、時には裏を掻き、騙し、互いにダメ−ジを与えながら「犯罪者とそれを追う刑事の日常」は続いている。


  ……そしてその裏側に、互いの肉を貪り合う非日常の夜が年月に織り込まれて行く。


 男はいつも私を酷く扱った。決して酷く扱われるのが好きな性質では無い。それは私が過去に殺した男・・・・・幻想魔術団のエセ貴公子で、母の年若い愛人でも有った、あの憐れで矮小な男・・・・・で実証済みだ。
 まるで物のように扱われながらもこの男が……ただこの男から与えられる苦痛と快楽のみが、私の餓えを熱く満たす。いずれ私にその命を刈り取られる強い雄が、私を思う存分貪り喰らうのだ。
 この男に、骨まですべて喰らい尽くされるのが先か、私がその喉元に猛毒の牙を深々と突き立てるのが先か……どちらかが飽き果てるまで続く、退屈を紛らわせるスリリングで滑稽なゲ−ム。それが私のなかの甘美な欲望を呼び覚まし、蕩けるような疼きを与えてくれるのだ。

  終焉が近いのか、男は肉食獣が唸るような声を吐きながら私の鎖骨の辺りに喰らい付く。鋭い犬歯で傷ついた皮膚から、赤い血が一筋流れ落ちた。男の柔らかく濡れた舌がその血を……
 「傀儡師の毒の血」を啜る感覚にぞくりと震え、身悶えるほどの歓喜を感じた。 
 
  そして、この獣をもっと深く、ズタズタに傷つけるために毒の刺を忍ばせた言葉で耳元に熱く甘く囁いてやるのだ。


 「あ、あ……もっと強く噛んで、もっと痛くして下さい……」


 噛み付かれた場所の焼け付くような痛みと、抉り込まれる様に打ち込まれた物が体の最奥で弾けるのを感じながら……私も男の手のひらの中に、追い詰められた欲望を解き放った。

 

 

 

 「次は、いつ逢える?」
 去りぎわに珍しく男が声を掛けてきた。


 外がまだ闇に包まれている内にどちらかが先に去る。

 決して二人で朝を迎える事はない。

 そして、約束もしない。

 それがこのゲ−ムの暗黙のル−ルではなかったか。


 男を振り返ると、感情の読めない顔をして、その視線は私を通り越しドアの向うの闇を見据えている。この男が私に背中を向ける事は決して無いだろう。

 「そうですね……」

 男が何故ル−ル違反を犯したのか、思考の隅で考えてみるがすぐにやめた。男のル−ル違反がどんな意味を持とうとも、私はまだこのゲ−ムに飽きてはいないのだから。


 そしてゲ−ムを終了させる者は、この私以外にはいないのだから………


 「あなたが付けてくださった、この傷が癒える頃。新月の闇の夜に、またお会いしましょうか?猪川警部」


・・・・・・・・・・・・・・・そうして、闇のなかで二匹の獣達の饗宴は…続く。

 

                                             end