10年目のサンタクロース
「ようっ!フミ、ひっさしぶりぃ!」 そのはた迷惑な闖入者は、一月以上も前から繁華街で見かけるサンドイッチマンから、果ては一年中クリスマスアイテムを専門で売ってるファンシーショップの店員さんのコスチュームのように―――もとい、一年の内、12月にしか無い特別な『きよし』この夜のに正当な由緒正しきど派手な赤い上下のコスチュームであたし達の前に現れた。(ひげこそ生やしてはいないけど) ど派手でちょっと剽軽な真っ赤なコスチュームに負けないような、明るく楽くメリークリスマ〜ス!なおどけた男はあたしの従兄弟『だった』男。何で過去形かって言うと、この男・・・金田一一は10年前のクリスマスの夜、免許取り立ての分際でクリスマス渋滞の都心を派手に車でぶっとばしたあげく、対向車線のトラックにぶち当たりそのまま派手に昇天かましてしまった、『故人』だから・・・なんだけど。 事故の原因はもちろんスピードの出し過ぎ。ぐちゃぐちゃにつぶれた車の損傷からしたら、はじめの顔は驚くほど綺麗だった。握りしめた手の中に血だらけのブランド物のウオッチケースが有って、その中は何故だか空っぽで『10年先もあなたと』なんて笑っちゃう様なクサイ台詞のクリスマスカードが一枚入ってたキリだった。身につけてた財布の中からレシートは出てきたのに、はじめが買った筈の時計はとうとうどこからも出てこなかった。 はじめのお葬式にはびっくりするほど沢山の人が来た。友人知人は元より、いままで“金田一耕助の孫・金田一一”として関わってきた刑事さん、被害者の家族までが三々五々に駆けつけてくれた。いまだ幼かったあたしには、実際に自分の従兄弟のすごさってものがその時まで解っていなかったんだ。 警察関係者で一番の良かった剣持のおっさんは、はじめの仏前で男泣きに泣いたっけ。その時のお葬式に“金田一のライバル”と称されていた明智健悟警視と言う人は多忙を理由に来なかった。お葬式の後はおろか、はじめの3回忌にも姿を見せない薄情さにはじめのお母さんが剣持のおっさんに愚痴をこぼしてもおっさんにもその理由は検討が付かない様だった。あたしは子供心にもなんて薄情な人なんだろうと、直接逢った事もない明智警視って人の事を嫌いになりかけてた。 はじめの7回忌。あたしは花も恥じらう女子高生に美しく(?)成長していた。 はじめが亡くなった後も、唐変木のフーテンオヤジはその後一向にあたしを迎えに来る気配はなかったんであたしはそのまま、はじめの家の正式な養女になってた。はじめが亡くなってから7年目に、ようやくその人は金田一家を訪れた。その時には警視正って言う階級に上がってて、某県警の本部長としては異例の若さで東京を離れることに成り、それを期にようやくはじめの仏前に手を合わせにやってきたと言っていた。 初めて目にした明智警視はその時35歳。オジンって言ってもちっともかまわない歳だけど、あたしが生まれてこの方お目にかかった事がないような大人の男性で。おまけにとってもハンサム。それに男の人に使う表現ではないけどとても綺麗な人で。そのくせ警察のエリートさんらしく毅然としてて。ともかく、あたしが想像していた薄情で嫌な奴にはほど遠い印象だった。 明智警視正は、はじめの両親にそれまでの無慮を詫び、型どおりの仏事が済む前に多忙を理由に会食を辞退して玄関に向かった。その日あたしは裏方に徹していたのだけれど、明智警視正が忘れたコートに気が付いて車に乗り込む前に声を掛けたんだっけ。 振り向いた明智警視正は、あたしの顔を見て声も出ないほど驚いて。あたしの差し出したコートを上の空で受け取って・・・。『金田一・・く・・ん』って小さな声でつぶやいたまま、瞳からぽろぽろ涙を流し初めて。 その頃のあたしは、はじめの両親を始め周りの人に言わせると歴然とした性別差が有るにしても、高校時代の顔に生き写しと言って良いくらいはじめにそっくりだったらしい。 少し俯き加減な端正な顔から後から後から流れてくる涙を見て、いい年をした大人の男が、それも警視庁のエリートがこんな風に手放しで涙を流す事に驚くのと同時に、明智健悟と言う人間が人知れず抱えていたはじめの死への悼みを、その想いを初めて知ったのだ。 止めどなく流れてくる綺麗な涙に声を掛ける事も出来ず、エプロンポケットの中にあったハンカチで黙って拭いて上げた。多分、その時あたしは『明智さん』に恋したんだと想う。 それからあたしは遠距離にもめげずせっせと明智さんにアタックし続けた。最初はおとなしく電話で。高校を卒業してからは明智さんの住む町にほど近い短大に進学しちゃったりと涙ぐましくも逞しく、あたしは懲りずにモーションをかけ続けた。 案の定明智さんは最初っから10以上歳の離れた小娘を恋愛対象として扱う筈もなく、歳の離れた兄弟のようにあたしを傷つけないように接した。 そんなおつき合いの中で明智さんははじめと恋愛関係にあったことを告白した。はじめの死後、金田一家に足を向けられなかったのははじめの死を受け入れることが怖かったから。そして7年も経つのにやっぱり自分ははじめの事が忘れられないのだ、と。 軽蔑しますか?と聞かれてもあたしの中ではその事がちっとも不快に思えなかったから。だから “はじめを忘れなくてもいいんです、そのままのあなたが丸ごと好きです。そのままの明智さんであたしを見て下さい” ってもう一度告白した。その時の明智さんのびっくりしてまん丸になった目と、血筋でしょうかねって苦笑した顔は今でも忘れない。 恋するあたしの真心が天に通じたのか、いつまで経ってもへこたれないあたしに明智さんはとうとう折れたのか(たぶん後者ね)来年の春、あたしの短大卒業を待ってあたしは明智二三になることになった。 そーゆー訳で、イブの奇跡かなんか知らないけれど、愛しの恋人・明智健悟とおつき合いを初めて屈折3年、初めて一緒に過ごせるクリスマスイブ、郊外の素敵な高級別荘でムード溢れるゴージャスなお食事で、ちょっと背伸びして高級ワインでほろ酔い加減でうっとりと期待に胸膨らまして嬉し恥ずかしの処女喪失で、喜びの涙と言うヤツにくれて恋人の腕の中で眠りについたはずのこの夜半、何故にどうして10年前に死んだ筈の従兄弟にたたき起こされなきゃいけないのか。あたしはあまりの理不尽さに腹が立って、世にも珍しい真冬の幽霊だとか、死んだ男が蘇った恐怖だとかすっ飛ばして幼い頃の口調に戻り思いっきり怒鳴ってしまった。 「この馬鹿はじめ!よりにもよってなんで今になって、それも特別な夜に化けて出てくんのさっ!!」 「あははははは、お前相変わらずだよな〜、二十歳のお年頃になっても威勢がいいや」 ベッドルームの大きな窓の外、ケラケラと楽しそうに10年前と変わらぬ顔ではじめが笑う。 「いまさら迷って出てくんじゃねーよ。ちゃんと盆暮れ正月、春と秋の彼岸に墓参りしてやってるだろう?」 「べっつに、迷って出てきた訳じゃないぜ?」 「じゃあ、なんで今頃、それもよりによってクリスマスイブの今夜あたしの前にあらわれたんだよ?」 「聞いて驚け」 えっへん!と、はじめが胸をそらしておどける。 「じゅーぶん驚いてるわい!さっさと続きを話せよ寒いんだからっ!」 ネグリジェの上に部屋着を羽織っただけのあたしは、ホワイトクリスマスらしくムード満点に雪がちらちら舞い続けるベランダで寒くてぶるぶる震えた。 「俺達のじっちゃんはなんとサンタクロースと知り合いだったわけさ。で、忘れ物をしたままあの世に行っちゃった俺を可愛そうに思って、10年目の命日にサンタの代理として、お前の前に現れる事を許してくれたんだよ」 「あっそ。ほれ」 あたしはくれるもんが有るならならさっさと受け取って、このやっかいなサンタクロースを北極圏あたりにあるサンタクロース村だかあの世だかに追い返そうと思って手を出した。 「お前の分は、もう渡してあるだろう?」 はじめが憎たらしく人差し指を顔のそばに寄せて、ちちち、っと揺らしてみせる。 「へっ!?何も受け取ってねーけど。」 はじめはちょっと口元だけでにかっと笑って、明智さんの居る室内にずんずん入ってく。 「あっ、こら!ゆーれー!あたしの明智さんに近寄るんじゃねーっ」 「馬鹿言うなよ、俺の忘れ物は・・・」 その時、あたしの隣で眠りについたはずの愛しの恋人は、パジャマのままで呆然とベランダの入口につったっていた。 馬鹿はじめのゆーれいサンタ(?)は、明智さんと目が合うとそれまでの軽さを残したままで、ほんのちょっぴり体をすくませて俯いて・・・それからあたしに挨拶したのと同じようににかっと笑って言った。 「メリークリスマス!明智さん」 明智さんは瞬間冷却でこちこちに固まっちゃった見たいに青い顔で動かない。 「ちょっと歳喰ったけど相変わらず美人だねv」 「あっ、馬鹿はじめ!あたしの婚約者に何色目使ってるのよっ!明智さんとあんたの仲は10年前終わったはずでしょーが!」 「あれ、なんだフミ知ってたのか?」 「当たり前だろ?あたしと明智さんは、そーゆーことまできちんと本音で話し合って、その上で結婚しようって処まで話がまとまってんの!もう、とっくに死んじゃったはじめの出る幕ないって言ってるの!さっさと帰ってよー!」 怒り心頭MAX、その上、10年前に死んじゃったライバルの出現であたしはパニック。愛しい明智さんの目の前だって事も忘れて明智さんと一の真ん中に立って馬鹿はじめの体をぐいぐいと押し戻そうとした。必死に突っ張っていたあたしのうでが、ふっとはじめの体を突き抜けた・・・、と、次の瞬間はじめはちゃっかりと明智さんの目の前に立ってた。さすがはゆーれー、などと感心してる場合じゃない! 「ちょっ・・・!」 「明智さ・・・」 『ばきっ!』 はじめがなにか言いかけたのを期にそれまで固まっていた明智さんが動いた途端、なんだか鈍い音が響いてあわれはじめサンタはその場に尻餅を付いていた。 「いっ、てぇぇぇっぇぇええ(涙)10年ぶりの再会の挨拶が拳骨なんて酷いじゃん、明智さん」 「・・・・何が、酷いって言うんです!君は・・・っ!!!!!」 尻餅付いて転がったはじめのほっぺたにはしっかり赤い後が付いてて、あたしは明智さんがこんなに手の早い人だったなんて知らなかったからちょっとびっくりした。 「酷いのは君じゃないですか!?10年前、君は、さよならも言わないで、私たちの誰にもさよならを言わせなかったくせに!なのに・・・10年もたった今頃になって!それもこんな・・・、こんな夜に君はっ」 はじめの頬を打った明智さんの拳は、爪で手のひらを切るんじゃないかと心配するほどきつく握り込まれてて真っ白になってて、怒りにぶるぶると震えていた。 「だからぁ、明智さんもフミも、ちっとは俺の話を聞けってば!」 相変わらずオジンになっても手が早いんだから、等とぶつぶつつぶやきながらはじめサンタは起きあがって、懐からごそごそと取り出した何かを明智さんに差し出した。 「これ、受けとってくんない?明智さん」 はじめが大切そうに懐から取り出したそれは、ちょうど10年前に流行った型のブランドウオッチだった。 「俺が死んじゃったあの日に、本当はあんたに渡すはずだったんだけど・・・。俺、出来なかったでしょ?それがすっごく気になっちゃって。おまけにあんまり気にしすぎてた物だから、俺ってばこの時計を持ったままあの世行きの船に乗ろうとしてさあ。三途の川の渡し守のばーさんに“船に乗るんだったら現世の物は置いて来い”って止められちゃったんだ。で、向こう岸に迎えに来てくれてたじっちゃんに相談してさ、じっちゃんの知り合いのサンタクロースのお情けで今夜ここに来られたって訳。明智さんが受け取ってくれないと、俺、天国に行けないの。解ってくれた?」 なんで三途の川とサンタと天国なんだよ・・・。お前、宗教ごちゃ混ぜ過ぎ!と、想いながらも、あたしはなんだか漠然とした不安に駆られて、明智さんのそばに寄り添い、その手を無意識に握った。明智さんの目は、真っ直ぐはじめに向けられたままだったけどあたしの不安をうち消すようにあたしの手を握り返してくれた。それは多分、寒さのせいだけじゃない・・・とても冷たい手だったけれど。 「この期に及んで脅迫するんですか?わざわざ今に成ってそんなことのために現れるなんて。全く、君のその身勝手さは生きてる時と全然変わらないんですね」 さっきはじめを殴った時とはうって変わって、落ち着いて毅然とゆーれーに対する明智さんだったけど、その瞳の中に揺れ動く動揺を見て取って、あたしの中の不安がだんだん膨らんでいく。 「・・・・今、だからだよ、明智さん。俺は確かに身勝手で気ままだったから、あんたともずいぶん喧嘩したっけね。挙げ句の果てにあんたを残して先にとっとと死んじゃった。生きていれば、ずっと一緒にあんたと居る事も、反対にあんたに愛想を尽かされて別れる事もできたんだ。結局俺は、大好きだったあんたを苦しめることしか出来なかったって、死んだ後もずいぶん悔やんだんだよ・・・どんなに悔やんでももうあんたのそばに居ることは出来ないんだから・・・さ。でも今は、フミがあんたの側に、ずっと居てくれるじゃん」 はじめサンタは、そう言いながら寂しそうな気分を自分で吹き飛ばすように、生きてた頃と同じ顔でへへっと笑った。 「・・・そうだよ。明智さんはこれから先の10年も20年も、それ以上だってあたしと一緒に居るんだから、はじめは心配なんかしないでさっさと成仏しちゃいなさいよ。たまには実家に帰ってお墓参りしてあげるから」 あたしは明智さんの手を強く握ったまま、心に重くのしかかかってくる不安を吹き払うように空元気ではじめに答えた。 「だからさ、これ受け取ってよ、ね・・・?」 明智さんの綺麗な手が、ウオッチに伸びた。 はじめが死の間際までしっかりと大事に握っていた恋人へのプレゼントのウオッチ。 『10年先もあなたと』と綴られたクリスマスカードに込められた、想い。 明智さんはそのカードを見ていない、知らない筈なんだけど 10年経って現れたはじめの想いが、死して尚もう一度 明智さんを捉えるのが、あたしは怖かった。 駄目よ、受け取らないで。 駄目だったら。お願いだから・・・! あたしの不安に気が付いた明智さんが、なんだか泣き笑いのような顔を見せて、はじめから受け取った銀のウオッチを左手にはめた。 「・・・ありがとう、明智さん。フミも・・・。どうか幸せに。ふたりの幸せをあの世で見守ってるから」 さっきと同じようにへへっと笑って、ベランダの向こうに行きかけたはじめだったけど、くんっと引っ張られてまん丸な目をしてあたし達を振り返った。 「・・・?明智、さん?」 明智さんは、ウオッチを填めたばかりの左手で、はじめの袖を掴んでいた。 「・・・ふざけないで下さい、金田一君」 「明智さん!」 あたしの指に優しく絡ませてくれた指が、はじめの手首をきつく掴んでる。 「あなたは・・・、あの世とやらへ入るための目的を果たしてそれで良いでしょう。でも、今になって私たちの前に現れて。せっかく、フミちゃんと2人、新しい未来を作っていこうと・・・君の居ない未来を歩んでいこうと決心出来たのに。なのに、君は若い、あのころのままの姿で現れて・・・私の中の古傷をかき回す。このまま又、私を置いてとっとと行ってしまう気なんですか!?」 やめて!明智さん、それ以上言わないで! 「突然、永遠に君が私の前から消えたときの、悲しみも愚痴も憤りも何一つ聞かずに去って行くと言うのですか!?君は!」 「明智さん・・・っ!」 「明智さん、やめてっ!」 悲鳴のような声で、必死で押しとどめようとしたあたしの手はむなしく空を切り、明智さんは・・・明智さんは、はじめを胸に抱きしめてしまった。明智さんの頬には、いつの間にか初めてあったあの日のように、透明で綺麗な涙が伝っていて・・・。あたしは自分の、明智さんと作るこれからの未来が崩れる音を遠い意識の果てで聞いていた。 はじめは、ついさっきまで確かにあたしの物だった広い背中にゆっくりと腕を回して、あたしの恋人を抱きしめた。 「・・・フミ。・・・ごめん、ごめんな」 明智さんの腕の中から何度も何度もあたしに謝るはじめのくぐもった声が聞こえた。はじめも又、明智さんを抱きしめながら顔をくしゃくしゃにして泣いてた。 「本当はこういうの、ものすっごくタブーなんだって解ってる。死んだ俺が生きてるフミの幸せをとっちゃう事なんて、絶対しちゃイケナイ事なんだ。けど、けど俺・・・・嬉しくて死にそうなんだ・・・」 「お前は死んでるじゃんか・・・」 あたしは頬を伝う涙を拭うことも忘れてはじめをにらみつけた。明智さんもやっぱり泣き笑いでくしゃくしゃの顔をあたしに向けて、謝った。 「馬鹿野郎。あやまるんじゃねーよ、馬鹿明智」 わざとはすっぱな言葉を明智さんに投げつけて、あたしは盛大に鼻をすすって見せた。鼻を啜った物の、新しい涙は後から後から溢れてきて。大好きな明智さんにそんな無様な顔を見せたくなくってあたしは二人に背を向けた。 「フミちゃん、私は・・・」 「乙女の操を捧げさせてといてさあ、その上ゆーれーなんかに持って行かれちゃうなんて。百万回謝られてもぜってー許さない。許さないからねっ!」 背中で二人共に悲嘆に暮れる気配がした。 「でもさ、あたしは明智さんの心の中にまだ、はじめが住んでること解ってて好きになったんだもん。あたしの大好きだった従兄弟のおにーちゃんをいつまでも好きでいてくれる、そんな明智さんに惚れちゃったんだもん、しょうがないかぁ」 それでも。それでも、大好きな恋人をよりにもよって聖なる夜のクリスマスイブにサンタの格好をしたゆーれーなんかに横取りされるのが悔しくて、切なくて。ああ、神様あんまりだあ・・・!と、開きっぱなしに成った涙腺から涙が溢れ続けた。 「フミ・・・・」 「いいから!もう!・・・あの世でも天国でもどこにでも、好きなところに行ったらいいでしょ!勝手にしやがれ・・・」 最後の方はもう、嗚咽で喉がふさがって・・・言葉に成らなかった。 どこか遠くの方から、シャンシャンって言う規則正しい鈴の音が近づいて来て、不意に音が途絶えた。その瞬間、思わずあたしは振り返って・・・。でっかいトナカイに引かれた由緒正しきサンタクロースの乗り物に乗り込んで手を振りながら去っていく夜空の二人を見上げた。 「ばかやろーっ!二人とも、大馬鹿野郎ーーっ!絶対絶対、許さないんだからねーーーっ!」 小さくなっていくふたりは、やっぱり泣き笑いの顔をして、それでも幸せそうに寄り添って雪の夜空を鈴の音と共に掛け上ってやがて見えなくなった。 「・・・馬鹿野郎、馬鹿野郎!・・・ずるいよ。あたし一人置いていかないでよ・・・」 あたしはベランダの手すりに突っ伏したまんま、泣き続けた――――――――。 さらさらさら。 優しく、ゆっくりと誰かがあたしの髪の毛を撫でる。 そして、ゆっくりとその後に続く、声。あたしの大好きな人の声、だ。 「一人になんか、しませんよ・・・・?」 行ってしまった筈の人の優しい腕の中、あたしは不意に目を覚ました。 寝起きのぼんやりとした目にうつるのは、大好きな明智さん。 「・・・明智、さん?」 「はい。明智、です。でも君ももうすぐ明智になるんだから、健悟って呼んでくれたほうが嬉しいね」 「え・・・?えっ!」 明智さんは柔らかく笑いながら、小さな子供にするみたいにあたしの髪を梳き続ける。 「・・・私はずいぶん無理をさせてしまったのかな?うなされて・・・ほら、涙の跡も」 あたしは慌てて体を起こすと、改めて部屋の中を見回した。そこは確かに、二人で過ごす初めてのクリスマスイブだからと明智さんが招待してくれた別荘の寝室で、決して成金趣味じゃないけど、意匠を凝らした立派な内装の寝室で。あたしはネグリジェで明智さんと一緒のベッドに入ってて・・・。そこまで確認して改めて、眠りにつく前の出来事を思い出してしまって。途端に上った熱を諫めるように両手で頬をさする。 「えっ・・・いやだ、無理だなんてそんな、事っ・・・」 明智さんはいたずらっぽく笑って、ガウンを羽織ってベッドを降りた。 「あの、これは・・・ほんとに何でもないの。ちょっと、はじめの夢を見ちゃって・・・」 「はじめ・・・?ああ、君が小さい頃事故で亡くなった従兄弟の事だね。で、どんな夢を見たの?」 はじめの名前を聞いても何も感情を表さない明智さんの瞳。こんな明智さんは初めてだった。 「え・・・あの、明智さ・・・、ううん。健悟さんがはじめとどこかへ行っちゃう夢を見たの。だからあたし、悲しく成っちゃって・・・」 「?どうして、私が会ったこともないフミの従兄弟とどこかに行く夢なんて見たの?」 「え・・・っ?」 そう言って不思議そうにあたしを見て笑った明智さんの顔には何も屈託がなくって。訝しむあたしをベッドに残したまま、ベランダの窓から外を眺めた。 「ああ、まだ完全な夜明けまで間が有る見たいですね。フミも見てみるかい?雪山の稜線が明けに染まって・・・とても綺麗だよ」 あたしはガウンを羽織ることも忘れて窓辺に立つ明智さんの腕にすがった。 「健悟、さん、本当に・・・本当にはじめと逢ったこと、ないの・・・?」 「私が君と出会ったのは、もっとずっと後・・・。探偵気取りであちこちの事件に首を突っ込んでいた『金田一耕助の孫娘』の女子高生時代のことじゃないか、忘れてしまったら駄目だよ」 そう言って明智さんは、あたしの肩が冷えないように背中から優しく抱き込んでくれた。一体どういうこと?行く先々、もしくは自分の身の回りでいつも事件に巻き込まれてそのたび鮮やかに事件の謎を解いた『金田一耕助の孫』は、あたしじゃない、あたしじゃないのに・・・! 「おや?あんな処に・・・何だろうね?」 あたしを抱きしめたまま窓の外を眺めていた明智さんが、ふいに何かに気が付いた。窓の外、雪の積もったベランダの真ん中にそれはぽつんと置き去りにされてた。 あたしは、寒いからととどめようとする暖かい腕を抜けだし、裸足のままでベランダのそれを拾い上げてみた。 文字盤のガラスがひび割れた、古い型の腕時計。日付が24日で止まったままの、時を刻むことのない針を見つめながらあたしは―――。 あたしの愛した、あの綺麗な涙を流した人は。 あたしの大好きだった従兄弟のおにーちゃんを いつまでも好きでいてくれた、あたしの恋人は。 やっぱりサンタクロースに拐らわれたんだと、悟った―――――。 |