カタログ



「ねえ」
 堆く積まれたカタログのむこうから金田一が少しふて腐れたように部屋の主に声を掛けた。
「ねえってば!」
「なんですか?」
 部屋の主から不機嫌そうな声が返って来る。
「せっかく遊びに来たのにさー。なにもカタログと睨めっこしてなくてもいーんじゃない?」
「別に」
と言葉を区切ってカタログの山の向こうから明智が顔を上げた。
「私が君にお願いしてご招待した訳ではありませんし?2週間ぶりの貴重な休日を自分の好きなように過ごして何が悪いんです?」
“2週間ぶりの休日”と言う明智の台詞に金田一がうっと詰まる。警視庁捜査一課の仕事がどんなに忙しいか、暇な大学生の金田一にだって良く分かってる。でも、普段の日は金田一だって学校やバイトがあるし、明智は仕事だし。たまたま日曜日に明智の休暇が取れたと聞けば、会いに行きたい、一緒に過ごしたいと思うのは金田一にしてみればしごく当然の感情だった。
 
なぜってそれは・・・一応2人は恋人同士、だったりするのだから。


 3ヶ月前の凍てついた春は名ばかりの日。金田一は忙しい中、家庭教師を買って出てくれた明智に、大学合格の報告と共に、18年の生涯で最大の恋の告白をした。
「俺、あんたが好きだ。だから恋人になって・・・欲しいんだ・・・」
 突然の告白を笑い飛ばされるのが落ちだとそれなりに覚悟をしていた金田一だったが、明智は真っ赤になって押し黙ってしまった。それで、金田一も明智の気持ちが分かったのだ。ヒステリーを起こした明智にしこたま殴られたのだが、どうにかその場でキス出来た。勿論そのあとも明智に殴られたのは言うまでもない。


(問題はキスから一つも進展しないってことなんだよなぁ・・)
カタログを熱心にめくっている明智を見ながら金田一は思った。
 知り合ってから2年。金田一が恋人宣言をしてから3ヶ月。そろそろ何か進展が有ってもいいはずなのに、金田一は慣れない大学のカリキュラムで、明智は相変わらず仕事で忙殺される毎日が続いてキスはおろか会って話をする時間さえままならない日々。たまの休日にでも無理やりに押し掛けて行ってなんとか2人の仲を進展させなければ、と金田一は燃えていたのだ。
(このまんまじゃキスどころかBもCもずっとず〜〜っとおあずけだよ・・・明智さんとあんなことやこんなこととか、いっぱいしたいのに・・・)
と、健康な成人男子としての発育を遂げた・・・ぶっちゃけて言うと「やりたい盛り」の金田一は思うのだった。何とかして「そういう雰囲気」にもっていかなければ。
 金田一の悲壮な(?)決意を知ってか知らずか、明智はカタログを熱心に眺め、時折付箋を張り付けたりしている。
「ねえ、何を熱心に探してんの?」
「冬のスーツを買おうと思いましてね」
「冬のスーツ!?今からぁ?夏のスーツの間違いじゃないの」
「夏のスーツは去年の冬に作ってしまいましたから。各ブランドでの今年の冬用新作は、既に今年の早いうちに発表されてますから、注文するには遅すぎる位ですよ」
 金田一は明智のめくっているカタログをしげしげと眺めた。それは普段金田一が家で目にする本屋でただで貰えるような分厚いカタログとは違って、各有名ブランドの物らしく凝った表紙で、いくつものスーツの生地見本まで付いた恐ろしく豪華な代物だった。
「暇なら君も見ますか?」
「・・・・・いや、いい。」
金田一に差し出されたカタログは英文だった。きっと、明智は幾つかのブランドの東京店に注文するのではなく、直接本社に注文するつもりなのだろう。
「ねえ、明智さんこれって直接ブランド元に注文するの?」
「ええ。ここのブランドの本社には私のボディを置いてもらってますから。そのほうが早いんですよ」
 それがどんなにすごいことか一般庶民の金田一には検討もつかない。ただ、物凄くお金が掛かるんじゃないか?と思った。
「なんだか勿体ない気がするんだけど・・・」
 真剣に金額の検討をしだした金田一を見て、明智はふふ、と笑った。
「ワンシーズンで駄目になるスーツを何着も揃えるより、長く着られて丈夫なブランド品を幾つか揃える方がよっぽど経済的ですよ。ネクタイ一つで随分印象も変わりますし。オーダーメイドも、ボディーを一つ作って置けば金額もそれほど掛からないですからね」
「ふーん」
“それほどかからない”金額がどの程度の物なのか。こざっぱりとした、好みに合う今風な洋服ならイチキュッパでもなんでもいい金田一には、その重要性が分からなかった。こんな時、金田一は明智とのライフスタイルの差に、ちょっとだけ不機嫌になる。それはそのまま、学生と社会人の差に外ならないからだ。もっとも、一般的な社会人の枠に明智が当て嵌まるかどうかは謎なのだが。
「君も大人になればブランド物の重要性が分かりますよ」
 明智が金田一の不機嫌を見透かしたように笑って言う。
「へーへー、どうせ一般庶民の学生にゃ分かりませんよーだ」
「おや、自分の立場が良く分かってるじゃないですか」
 金田一が今度こそむっとした顔をして明智に言った。
「なんだよ、もう!久し振りに会えた恋人にそんな厭味ばっかり言って!せっかくバイト代が入ったから食事でも食べに行こうって誘うつもりだったのに」
「外は雨ですよ?こんな日は出掛けたくありません」
「ああ、そう!分かったよ、俺とおしゃべりしたり、ご飯食べに行ったりするよか、冬物のスーツのほうが大切なんだよね?あんたって」
「え?」
 明智がびっくりして金田一を見る。
「わかった、もう帰るよ」
「ちょっと、金田一くん!」
 立ち上がりかけた金田一の手を明智がつかんだ。
「そんなつもりで言ったんじゃありません。食事ならこれが終わってから2人で作りませんか?」
「そんな事言って、あんたンちの冷蔵庫、いっつも何にも入ってないじゃん」
「今日はあるんです」
そう言ってから、明智が少し赤くなって俯いた。
「夕べ、君から今日来るって連絡があったので、深夜スーパーで買い物してきました」
 金田一が目を丸くする。なぜなら明智は忙しさにかまけて自分の食事には無頓着な方で、どちらかと言えば外食派だったからだ。
 その明智が、金田一が来るからとわざわざ仕事帰り(といってもかなり遅い時間だっただろう)に食糧品を買い込んだというのである。
「本当なら今日はスーツを見に支店に出掛けようと思っていたんです。でも、私も疲れていたし、ゆっくり過ごしたかったし・・・君とも会いたかったし」
 金田一がゆっくりと明智に向き直る。
「だから私なりに最良の方法を選んだつもりだったんです。なのに・・・君を怒らせてしまったみたいですね」
「明智さん・・・俺に会いたいって思ってくれたの?」
「ええ。君の顔を見たら、なんだか気が緩んじゃってつい、君を怒らすような事を言ってしまって」
 ああ、そうか、と金田一は気が付いた。明智は明智なりに、自分に甘えていたのだ。

 気難しくて気分屋のこの人の事だから素直に感情表現が出来なくって、厭味言ったり、わがままをぶつけて来たりするんだよな。自分の気持ちを口に出して言わなくても、俺なら解ってくれるって、信じて甘えてくれてたんだ・・・
“早く大人になりたい”なんて気持ちばかりが焦ってて、肝心なこと解ってなかったんだ・・・・・
“言ってくれなきゃ解んない”なんて言ってる内は、明智さんの言う通りガキ、なんだよな・・・・

 金田一は一つ大きく息を吐き出すと、打ち沈んだ思いを掻き消すように、殊更明るい声で言った。
「コーヒー・・・入れよっか、明智さん」
「え?」
「一休みして、とっとと用事を片付けちゃおうよ。そんで、ご飯にしよう。俺、もう腹がぺこぺこだよ〜」
 金田一が、わざとジーンズのベルトを浮かせておどけて見せる。
「ね?そうしよう!俺、コーヒー入れて来るよ」
「あ、金田一くん」
「?」
「ご飯食べたら・・・今日は・・・その、夜までゆっくりして・・・行きませんか・・・?」



 その日、夜遅く帰宅した金田一が幸せな眠りに付いたのは言うまでもない。期待と緊張と照れ臭さで、味なんて判らなくなってしまった昼食を取った後、恋する二人がどんな甘い時間を過ごしたのかは・・・テーブルの上に積まれたままの、ずっと色あせないカタログだけが知っていた。