ことん こと こと かしゃかしゃ とん それはちょっと遅めの日曜の朝。お天道様はとっくに高く登って、寝室のカーテンの隙間から部屋の主の目覚めを催促していた。キッチンから聞こえてくる不振な音に、部屋の主、明智は疲れと眠気に再び閉じようとする瞼を必死に開けてベッドからもそもそと起き出すと、スリッパも履かないで裸足のままぺたぺたとキッチンに向かった。 「あ、明智さん、おはよう!あー、もう駄目じゃんスリッパも履かないでぇ。冷やしたら駄目じゃんか」 「・・・きん、だ・・・いち君?」 ほわほわと漂うコーヒーのいい香りと、パスタをゆでてる湯気の向こうからすっかり身仕舞いを整えた金田一がにぱっ!と嬉しそうに明智に笑い掛けた。かたや明智はというと寝癖頭にパジャマのまま。おまけに寝起きで半分以上眠ってる頭のまま、何故金田一がここにいるんだろーか、等と考えながらぼーっと突っ立ったままであった。 「えっと・・・」 ぼけらっと立っている明智のおでこに菜箸を持ったままの金田一がとことこと近づき、よっと背伸びをしたかと思うと、自分のおでこを明智のそれにぴとっとくっつけた。 「・・・うん、もう熱は下がったみたいだね。一回しか着替えてないから汗べとべとだろう?軽くシャワー浴びてくる?」 尚もぼけっと突っ立ったままの明智に苦笑して、金田一は呆け呆けの明智の手を引いてバスルームへと連れていく。 「着替え、用意しといてあげるから。しっかり暖まって出てきてよね」 そう言うと又台所へと戻っていった。 ええと・・・・・・・・・・・・・・・・・。 バスルームに連行された明智は、まだ前後不覚といって良いほどの惚けっぷりだったが、それでもいつもの朝の習慣通り、パジャマを脱ぎ捨てて熱いシャワーを浴び、壁掛けの鏡に向かって髭を当たる頃には段々と頭も冴えてきて、今までの出来事・・・金曜の夕方からの出来事を思い出してきた。 金曜の夜は年末年始で遅れに遅れた明智率いる捜査一課第四係有志一同による新年会であった。その週は特に大きな事件事故も無く、有志とは言えかなりの人数が参加する事になっていた。所は都内某所の年若い部下達の行きつけの居酒屋。 見た目は悪いんですが、食いモンと酒だけは美味い店なんですよ。お忙しいかも知れませんが、宜しかったら警視も是非参加していただけませんか。 小うるさい上司など、形式上誘ってるだけだろうと明智は思ったのだが。そう誘ってきた部下の顔には何のてらいも気負いもなく、ただ純粋に“楽しい席をご一緒に”と、そう書いてあったので・・・。明智にしては珍しく少し覗いてみる気になったのである。 明智が部下から渡された地図を頼りに昔ながらの縄のれんをくぐったの時は、すでに21時を回っていた。実は朝から少々体調が悪く、庁舎での雑多な用事を済ませるのに思いの外時間を食ったのだ。 「おお!警視っ!お疲れさまですっ!ささっ、上座の方にどうぞどうぞ!!」 八畳ほどの座敷はすでにおおかた出来上がった部下達によって埋め尽くされていた。その酔いつぶれる寸前の部下が何人かで酔いに任せて明智の手を引いて上座方向へと案内した。上座から少し離れた下座には部下の中で最古参の剣持が四係のおやじさん宜しく酔いつぶれ始めた部下を肴に自分のペースで悠々と日本酒を冷で飲っている。遅れてきた明智にお疲れさまですと声を掛け、隣の手つかずの明智のための上座席に明智を座らせた。 「なかなか盛況のようですね」 「始まってから物の30分もたたんウチにこうですわ。最近の若いモンは酒に弱いですな」 ははは、と豪快に笑いながらさ、一献、と明智の空の猪口に剣持が冷や酒を注ぐ。 「警視、酒はお強いんでしたかな?」 「いえ、私は日本酒はあまり。どちらかというと洋酒派ですかね」 そんなたわいのないことを2,3話ながら杯を交わしていく。そのうち若い部下達が各々の嗜好の酒を手に、明智の元へと酌にやってくる。明智はその部下達の酒を、体調の悪さを押して快く受け、飲んだのである。まあ俗に言う“ちゃんぽんで飲む”というやつだ。 体調の悪いときの酒ほど体に悪い物は無い。顔では笑って和やかにその場にとけ込んで見せていた明智だったが、酒が回るごとにどんどんと胃のあたりがむかむかしてきて、額には脂汗がじわり、と浮き出してきた。 「ちょっと失礼」 そう言って明智は何食わぬ顔で座敷を抜けだし、座敷入り口の奥に併設している手洗いではなく、わざわざ座敷から遠い店側の手洗いに行くべく席を立った。 個室に入って、万が一にも部下達に気づかれぬように明智は声もなく何度も吐き戻した。声を出さずに気を使いながら吐く、と言うのは普通に吐くより何倍も苦しい物である。疲れ果てて個室から出た明智はすぐさま手洗いで苦し涙に濡れた顔を洗い、ポケットのハンカチで顔を拭く。 「お・客・さ・ん。大丈夫ですかぁ?」 と、明智の横のドアから聞き慣れた声がし、にゅっと冷たいおしぼりが差し出された。 「きっ・・金田一、くん!?どうしてこんな所にいるんですか!?」 「えへへ、オレここでアルバイトやってんだよねぇ。何度かお座敷の方にもお運びしたんだけど、気が付かなかったぁ?」 そこには居酒屋のはっぴを身につけてにやっと笑う金田一の姿があった。 金田一は高校二年の夏、周囲に黙って自転車で家出をしたのを期に不動高校を中退してしまっていた。そして家出の理由は誰にも告げぬまま現在に至っている。本来なら高校三年生、今の時期は大学入試に汲々としているはずなのだが、高校をドロップアウトした現在18歳の彼は周囲の心配を余所に “本当にやりたいことが見つかるまで好きにする” と、大検だけはさっさと取って、後はバイトバイトに明け暮れ、有る程度金が貯まると又ふらりとどこかへ出かけて居るのであった。 両親はおろか、一番仲の良い幼なじみの七瀬美幸にまで旅の目的を告げない金田一を心配し、叱咤する親族、友人。その中の一人でもある剣持からそのことを聞かされた明智だったが、金田一に対する評価は周囲とは微妙に違っていた。 “まあ、彼のような世間知らずにはそれも良いかも知れませんね。元が規格外なんですから、今更規格外の事をしでかしても驚きはしません。何の目的もなくだらだらと進学して周囲に迷惑を掛けるより、彼の人生には余程有益かも知れませんよ?” 明智の言動は周囲には「はなっから匙を投げてる」と取られたのだが。当の金田一は剣持からそのことを聞きそれはそれは嬉しそうに・・・笑ったので有った。 困ったモンですよ、と、苦渋を顔に乗せる剣持がそれでも以前と変わらず「小遣い稼ぎ」と称して、剣持の担当する事件の幾つかの相談を金田一に回して自分の小遣いから幾ばくかの金を金田一にカンパしているのを明智は知っていた。時折剣持と一緒に見かける金田一は、高校生の頃とあまり変わらぬ顔で、それでも明智を見つけると少し大人びたような瞳で笑い掛けた。明智は何だかその瞳がいつの間にか余裕を身につけたような気がしてちょっと気にくわなくて。又、金田一が毎日バイトに明け暮れるため以前のように自ら進んで事件に巻き込まれる回数も格段に減った事から、警察関係者である明智とは自然、疎遠に成っていた。 「あんたもさぁ、具合悪いなら酒断ればいいのに」 実は金田一、店を入ったときから明智の顔色がいつもより優れないのを見て取っていたのだ。座敷にお運びで上がる度に青くなっていく顔を見て明智が座敷を出たのを見計らって、冷たいおしぼりを持って手洗いまで後を付けてきたのだ。取り越し苦労ならそれでいいが、でももし具合が悪いのなら・・・。案の定明智は声を殺して吐き戻して居たのだった。 「いい年をした立場のある人間が、そんな不作法な真似出来ますか」 冷たいおしぼりでごしごしと顔を拭きながら、明智がつっけんどんに言い放つ。 「あーあ、無理しちゃって。あんたって損な性格だよね。本当は楽しい雰囲気を壊したくなかったから、なんでしょう?」 「君に同情されるほど落ちぶれては居ませんし、無理もしてません。こういう性格なんですからほっといて下さい」 「あんたって実は心配りの人だモンね。でもそう言うのって自分にリミッター付けて、結局自分をがんじがらめに縛ってるんじゃない?弱みを見せた方が人間関係上手く行くって事も有ると思うけどぉ?」 ぺしっ!と金田一めがけておしぼりが飛んでくる。 「おしぼり、どうも有り難う御座いました」 久しぶりの再会だというのに相変わらず失礼な子供だ、と、明智は少しむっとした。それなりに嫌みで応戦したいところだが、今日の明智には少々分が悪いようだ。少し目を赤く腫らした明智は、それでもきちんと身仕舞いを正して手洗いから立ち去ろうとする。が、明智の意志に反して踏みしめた床はくにゃりと歪み、バランスを崩した明智はそのまま金田一の腕に支えられてしまう。 「ああ、ほらもう。言ってる側から。無理しないでよ、明智さん」 支えられた金田一の腕の堅さに、この少年はいつの間にこんなにしっかりした男の体つきになったのだろう、と、明智は一瞬驚いた。 「だ、大丈夫ですから。離して下さい」 「大丈夫じゃないから離せないんだろう?ほら、無理しないで掴まって」 明智に肩を貸すようにして歩き出した金田一は、明智のその体の熱さに気が付いて驚いて声を掛けた。 「明智さん!?あんた、熱あるじゃんか!」 「だ・・・大丈夫、ですから、もう・・・」 尚もしつこく大丈夫を繰り返す明智だったが、金田一に宥め賺されて店のカウンターにへたり込んでいるウチに、濃霧のような白い闇に意識を支配されてしまった。 「お!け、警視、大丈夫ですか?」 明智の耳におぼろげに聞こえる剣持の声。 「おっさん、オレもう上がりだから、このまま送ってくよ」 「おお、すまんな金田一。連中をこのまま放って置けんのでな。しかし、警視も具合が悪いなら悪いと・・・」 ぶつぶつと続ける剣持に、 「急用が入って抜けたって事にしといてよね」 と、金田一が軽くウインクして、予め呼んで置いたタクシーに乗り込んだ途端、明智の意識は完全に途切れた。 少し熱目のシャワーに打たれながら、明智がおぼろげな記憶を辿って行く。金曜の夜に倒れてから、懇々と眠り続けた自覚が明智には有った。そして眠りの合間に、酷く不確かな記憶が明智の脳裏に点在していた。それを必死でたどり、整理していく。今日は金曜の夜倒れてから2回目の朝、日曜だ。 土曜日にお医者さんが往診に来て・・・又眠って・・・でも、往診に来たときも、夜中目が覚めたときも金田一君が居たのを覚えてるって事は・・・ 「ずっと付いていてくれたって事・・・ですか」 一番借りを作りたくない相手に借りを作ってしまった。明智は、そう一人ごちながらシャワーの音に負けないくらいのため息を盛大に着いた。 金田一が用意した少し厚めの新しいパジャマに着替え台所に戻ってくると、シャワーでほこほこと暖まった明智に負けない位ほっこり熱々野菜たっぷりのコンソメスープパスタがテーブルの上に用意されていた。皿の隣には水の入った大きめのグラスと、その向こうにオレンジジュース。 「良く暖まったみたいだね。ずっと食べずに眠ってたからお腹空いてるでしょ?本当はこういう時ってお粥が良いんだけどあんたの所米置いてないんだモン」 「金田一君、その・・・」 「いいから、先に食べちゃおうよ」 金田一がにっこりと笑って明智に食事を勧める。高熱を出して寝込んでいた明智は本当はまだ食欲が戻って居なかったのだが、明日からの仕事を考えると今日一日で体調を戻しておかなければ成らない。そのためには多少無理をしてでも(たとえまずかろうが)食事はとるべきだ、と、意を決した明智はおそるおそるパスタを数本口に運んだ。 「・・・美味しいですね」 「でしょ?オレだって親任せでなんにもしなかった高校時代とは多少は違うんだよーんv」 金田一お手製のスープパスタは明智の心配を余所に旨かった。薄味に仕上げられたスープが、病み上がりでこわばった明智の舌に優しくしみ込んで体の芯から暖めて行った。 「なんたってはじめちゃんの愛情がこもってますからv」 金田一の言葉に途端に明智の喉がうっ!と詰まる。 「あ・・・愛情!?」 「そう、愛情v」 金田一が明智の向かいの椅子で、に〜んまりと笑って言った。明智は尚もけほけほとむせながらも何とか呼吸を取り戻し、グラスの水を喉で一気に飲み干した。 「大丈夫?明智さん」 金田一がは席を立って明智の背中を優しくさすって声を掛けた。 「だ・・・大丈夫、ですから・・・っ」 なんだか居酒屋での続きみたいだね、と明るく笑う金田一に、落ち着きを取り戻した明智が向かいの席を黙って指さす。金田一が席に着いたのを見計らって明智が口を開いた。 「とにかく、お礼だけは言わせていただきますが。どうして家に帰らなかったんですか?」 「え?だってほっとけないでしょ、人として」 「ほっといてくれた方が良かったんですよ。泊まりで看病させたなんて、君のご両親に申し訳ない」 「いーんだって。そんな事。無断で外泊なんてしょっちゅうだしね」 からからと笑う金田一に、尚悪いです、と明智は釘を刺すことを忘れなかった。 「大丈夫だって!ここに居ることはちゃんと言ってあるし。あーあ、あんたって本当に損な性格。病気の時ぐらい甘えても良いんだってば。熱出して寝てた時のが可愛かったな」 「可愛いってどういう・・・」 むっとして顔を上げた明智のすぐ目の前に、椅子から立ち上がった金田一の黒曜石の様に輝く瞳が有って――― 柔らかななにかが、軽く明智の唇に触れ、去った。 「オレはね、あんただからほって置けなかったんだ」 「・・・・!!??きっ、ききき、金田一君っっ!?」 自分の唇に触れたモノが金田一の唇だという事を理解するのに数秒掛かった明智だったが、理解した途端、座っていた椅子から文字通り“飛び上がって”驚いた。そのあげく、立ちくらみを起こし、ぺたりと床にへたり込んでしまった。 「あーあ、無茶しないでよ明智さん。又熱が上がっちゃうよ?それに初めてじゃなしー」 金田一がよっ、と明智の両脇に手を入れて改めて椅子に座り直させながら笑った。 「は・・・初めて、じゃ、ないって、どーゆーことなんですか!?」 「寝てるとき何度もお水飲ませて上げたじゃん。あと、薬もv」 明智は、改めて記憶の断片を探るが、そんな行為は記憶に無かった。記憶は無かったが・・・言われてみると、自分の唇に触れた金田一の唇の感触だけには不幸なことに“覚えが”有った。 「は・・・発熱で人が前後不覚なのを良いことに君って人は!!」 「えー?それは仕方ないよー。明智さん起き上がれなかったんだもん。熱でふにゃふにゃしてるあんたは可愛かったよーv着替えさせるときもオレの言うがままに素直だったし。それに・・・」 「そ・・・それに、まだ何か有るんですか?」 金田一は頭を抱え込んでしまった明智を意味ありげに見つめ、ふふ、と笑って後の言葉を飲み込んだ。 この分だと明智さん、全部すっかり忘れてるんだろうなぁ。 ・・・何が有ったか告げたら憤死しかねないかも。 金曜の夜倒れ込んだ明智をマンションまで送ってきた金田一。明智の懐を探って鍵を取り出し明智を寝かしつけたものの、金田一は鍵を預かってこのまま一旦帰ろうか、それとも一晩泊めて貰って様子を見ようか、と迷っていた。寝室の明智の顔色はそれ程酷いものだった。とりあえず何か手当を、と思い家捜しして見つけた救急箱には使いかけの残り少ない頭痛薬と胃薬しか入っていなかった。整理したときに落としたモノであろうか、薬箱の中には薬局のレシートが一枚。金田一はレシートにざっと目を通す。レシートの日付は一月弱前。明智は同じ種類の頭痛薬と胃薬を何箱もまとめ買いしたらしい。しかし、残ってる薬はそれぞれ一箱。それも尽き掛けているのだ。 「ったく。こんなに薬が空に成るまで無理しなくたって良いのに。本当、不器用なんだから・・・」 警視、それも警視庁捜査一課第四係を束ねる激務が並大抵の事ではないくらい、如何に世間知らずな金田一と言えど、判る。一見高飛車で鼻持ち成らない嫌みなエリートである明智が、何もかもそつなくこなしている様に見えて、実は人並み以上に他人に対して神経を使っていることに気が付いたのは一体いつのことだったろう。嫌みな、厳しい言葉の裏に潜む思いやりと優しさに気が付いたとき、金田一のそれまで明智に対して持っていたわだかまりが春の雪のように消え失せ、心の中の大事な部分を占める内の一人と成っていた。 ただ、その感情が失いたくない良き好敵手に対する友情めいたものなのか、兄のような存在に対する思慕なのか。高校時代と比べて幾分疎遠になったと言う物の、明智とは一生もののつき合いになるだろうという奇妙な確信が金田一には有った。自分と同じ様な確信を、明智も持っていてくれればいいと心密かに金田一は・・・願っていた。 そんな事をとりとめもなく考えながら、金田一は一回分の薬とグラスを手に明智の休む寝室へと戻った。 「明智さん、起きられる?ほら、沈痛剤。熱冷ましにも成るって書いてあったから一応飲んで置いた方がいいよ」 浅い呼吸を繰り返す明智の首の後ろに手を入れて、抱きかかえるように金田一は明智の体を起こす。薬の前に、グラスの水を一口熱い唇に含ませる、が、明智はすぐにせき込み吐き出してしまう。 「うーん。こういう場合は・・・と」 タオルで明智の口元を拭ってやりながらしばし考え込んでいた金田一だったが、錠剤と水を一口自分の口に含むと、明智に口移しで飲ませた。熱のために熱くとろけるような明智の口内に合わせた唇から舌で錠剤を押し込んでやる。 「んっ・・・くっ、ふ・・・」 明智は苦しそうに、それでも与えられた薬をこくん、と嚥下する。金田一によって遮られていた呼吸を取り戻すように、明智は薄く明けた唇で浅い呼吸をせわしなく繰り返した。 「明智さん・・・」 金田一の顔を見れば、いつも不遜な微笑みか、不機嫌そうにへの字になる明智の唇。その唇が今はなんだかあどけなく、熱のために艶めいてさえ見える。金田一は何だかどきどきして抱きかかえたまましばし明智の顔に見とれてしまった。 「う・・・ん、み・・・ず・・」 「あ、あああ、明智っ、さん、水もっと飲む??」 当然発せられた明智の声に、金田一が心持ち裏返った声で尋ねると、明智は小さく何度も頷く。金田一は一瞬とは言え同じ男に邪な思いを抱いてしまった事を振り払うようにかぶりを振り、これは純粋に看護なんだよ、うん。と、己を納得させ、一口ずつ含んだ水を口移しで明智に飲ませていく。こくりこくりと、金田一に与えられる水を飲み干す明智。口移しを繰り返すこと数回後、明智はふうっ、と小さく満足のため息を付き、再びゆるゆると眠りに落ちていく。眠りに落ちる瞬間、明智が金田一を見て小さく笑ったような気がして、金田一はどきどきと切なく脈打つ自分の心臓に・・・大いに戸惑い、今まで考えても見なかった一つの仮説にたどり着いた。それを確かめるために、金田一はこのまま明智の部屋に泊まり込む方に腹を括った。 真夜中。明智の熱は幾分か下がり、そのかわり酷く汗を掻いていた。金田一は冷凍庫から引っぱり出してきた保冷材を取り替えるついでに明智のパジャマも換えさせることにした。汗でじっとりと濡れたパジャマのボタンを上から一つずつ外していくと、熱のためほんのり上気した素肌が現れて、金田一は少しだけどぎまぎしてしまう。 「ん!っほん!!」 誰が見ているわけでもないのだが、照れ隠しをするように金田一は軽く一つ咳払いをし、明智の左手からパジャマの袖を抜こうとする。が、自分の服を着替えるのとは勝手が違い、なかなか上手く袖を抜くことが出来ない。 「あれ?うーん、困ったな・・・」 「・・・いつ、かえってきたんですか?」 「え?」 横たわる明智に覆い被さるようにパジャマの袖と格闘していた金田一は、唐突な「本体」の声にびっくりして顔を上げると、熱でぼけぼけ状態でうつろーな明智の瞳と目があってしまった。 「あ、御免、起こしちゃった?でもちょうど良かったよ。パジャマびしょぬれだから着替えよう?」 「・・・たびから、いつ、かえってきたんですか?」 「は?夕べ一緒に・・・って、旅?って・・・」 金田一が推理するに、どうやら明智は高熱のため少々記憶が混乱しているらしい。多分、「今」現在の明智の記憶は去年の夏、金田一が周囲に黙って旅に出た時に戻って居るのだろう。 「・・・あんたの具合が悪いって聞いたから、帰ってきたの。ね、汗で気持ち悪いでしょ?とりあえず着替えようよ」 うつろーな明智は、何だか釈然としない顔つきだったが、とりあえず起きあがって金田一に言われるままもぞもぞとパジャマを脱ぎ始めた。 「はい、じゃあこれ、新しいパジャマ。ちゃんと着れる?」 明智は、またもやもぞもぞと新しいパジャマに袖を通す。 なんだか子供みたいで可愛いかも・・・と、自分の言いなりにもこもこお着替えする明智に思わず見惚れてしまった金田一だったが、当の明智はパジャマの袖だけ通すとボタンも留めず、ぱたんっ、と再びベッドへ仰向けに沈み込んでしまった。 「あー、もう、明智さんパジャマのズボンと・・・その、下着も換えよう?ね?いい子だからさぁ」 新しいパジャマのズボンと明智のパンツを手にしたまま金田一がとほほと笑う。何度か明智の名前を呼んでみたが、反応はない。金田一は一つため息をつき、目をつぶったまま一気に下着ごと明智のズボンをはぎ取った。 「なに、するんですか!ぶれいものー!!!」 はぎ取った瞬間、明智ががばっっと起きあがり、いきなり晒された下半身を毛布で隠す。 「あのね、こういう時に無礼もへったくれも無いでしょう?ほら、諦めてパンツ履きなよ」 金田一は残念なような、ほっとしたようなちょっと複雑な心境に戸惑いながらも、真新しいグレーのボクサータイプの下着を明智に手渡す。ひったくるようにそれを受け取った明智は、またもや毛布の下でもぞもぞと下着を身に付けると、そのまま「さむい・・・」と一言発して頭から毛布を被ってベットに撃沈してしまった。 (頭隠して尻隠さず・・・って、なんか有ったよなあ・・・。に、しても。明智さんのこんな姿、滅多にお目にかかれない・・・) などと、金田一は不謹慎な事を思いつつも用意して置いた堅く絞った濡れタオルで明智のむき出しの足を軽く拭ってやり、パジャマのズボンを履かせてやった。直に触れた明智の体温はまだ高く、発熱から来る悪寒に震えていた。 「ごめんね、明智さん。あと上半身を拭くだけだから。もう少し我慢して?」 明智の足下に毛布と上掛けを掛けてやりながら、金田一が明智のパジャマの前を心持ち開かせ、濡れタオルを当てる。熱でそこだけ赤く浮き上がった香港での傷跡が痛々しい。金田一はそこを避けて、優しく明智の汗を拭い始める。汗を拭う金田一の手を、明智が不意に掴み、そのまま自分の方にぐっと引き寄せ・・・ 「うわ、ちょ、ちょっと明智さん!!??」 金田一は裸の明智の胸に倒れ込んで、そのままぎゅっと抱きしめられてしまった。 「さむい・・・・(#←青筋マーク)」 「は?」 あわてふためく金田一を余所に、明智はがっしりと金田一にしがみついたまま、再び眠りの彼方に意識を飛ばしてしまったようだ。金田一はなんとか離れようと試みてみるのだが、しがみついた明智の白い指は白く白く、小刻みに震えていた・・・ので、仕方なくそのまま上掛けをひっかぶり、ベットで二人丸くなって眠る事にした。 しかし、金田一は熱で苦しむ明智が時折密やかに喘ぐ声とか、目の前に晒された白い胸の二つの紅い飾りとか傷跡とか、明智の汗の香りとか・・・が気になって、眠るどころでは無かった。明智が苦しそうに喘ぐ度、背中に回した手のひらで明智の背中をさすってやると、少しだけ明智の呼吸が柔らかくなる。背中に当てた手のひらで、もっと別の所も触って見たいような欲求に必死で耐えながら、反応してしまった若い己を押さえ付けて・・・朝まで悶々として過ごしたのであった。 夜明け頃、ようやくしがみつく明智から解放された金田一。あわててトイレに駆け込んで己の“今まで考えても見なかった一つの仮説”を、きっちり体で納得させられてしまったのだった。何故なら明智に反応した自分も、それを治めるために行った行為にも何の違和感も疑問も不安も・・・もはや沸いてこなかったから。 ああ・・・何だ、俺明智さんが好きなんだ。 偏屈で嫌みで、毒舌でええカッコしいで自信家で。 でも本当は優しくて、人一倍周囲に気を使って、そのくせ プライドが高くて誰にも弱みを見せられない、不器用な人。 誰もが聞いてきた『旅の理由』を一度も俺に聞かずただ一人肯定してくれた人。 きっと告白しても明智さんのことだから、男同士って事さっ引いても すんなりと気持ちを受け入れてくれそうに絶対ないんだけど・・・ 惚れちゃったんだからしょうがない。前向きに行動有るのみ、だよな。 はっきりと自分の気持ちを自覚したらこっちの物等とつらつら考えながらトイレを後に寝室に戻った金田一は、幾分熱は下がってきたとは言え、まだ熱のある明智の寝顔を見つめながら 「早く良くなってね、明智さん。絶対絶対、あんたのこと落とすからv」 と、そっとそっと宣言したのだった―――――。 それから。 朝一番に剣持経由で往診を頼んだ医師からちょっとした風邪と過労、と診断を受けた明智は診察の合間少し起きていただけで、後は金田一の看病の元昏々と眠り続けて、日曜の朝、やっと目覚めたのだった。 「金田一君?」 「え?ああ・・・」 頭を抱え込んでいた明智の声で金田一はようやく昨夜の回想から戻ってきて、明智ににっと笑いかけた。 「まあ、スープが冷めちゃうから先に食べよう?明智さん」 そう言われては明智とて、それ以上追求することが出来なくて。明智は仕方なく金田一手作りのスープを黙々と口に運ぶ事にした。 「たくさん食べて体力付けてねv」 と、上機嫌で明智の正面で微笑む金田一と語尾のハートマークをひたすら無視し、とりあえず食事に専念する事に腹を決めた明智の、二人で分け合った初めての朝は平和に、そして幾分不穏に過ぎていくのだった。 本当にやりたい事に、明智のハートを落とす事を付け加えた金田一と、大人の貫禄を徐々に身につけながら迫る金田一を交わす明智の攻防戦は、まだ、もう少し先の話である・・・・・・・・・。 end |
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