立夏の桜
「わざわざお越しいただきまして、まことに恐縮で有りました、警視」 北海道道警本部の刑事本部部長、その他俗に言う“お偉い面々”数人が、道警の正面玄関で、年若い警部が運転手をつとめる車に乗り込む明智を最大限の敬礼で見送った。 「いえ、こちらこそ却って気を使わせてしまった様で申し訳有りませんでした」 と、少し申し訳なさそうな顔をお見送りの面々に向けた。明智がそう、口にするのも無理のないことだった。警視庁の管轄で起きたとある殺人事件の重要参考人の北海道警に保管してある過去の犯罪データ―――それ自体はファックスで送ってしまえば済まされるような――― を、平の刑事ではなく“警視庁捜査一課一の切れ刀”と音に聞こえた明智警視が直々に受け取りに来たのだ。道警の平刑事、お偉い面々が面食らって『すわ、大事件か!?』と浮き足だったのも無理のないことであろう。 何を仰います、と、頭の上に『中央への覚えめでたく』という文字を載せた面々に明智は軽く会釈を残し、車は新千歳空港を目指して出発した。 「しっかし、まさか明智警視が直にいらっしゃるとは思いませんでした。上の連中も面食らっとりましたよ」 明智警視主催の勉強会ですでに明智と面識のある俵田警部が、先ほどの道警の玄関で繰り広げられた「普段は絶対見られない」威張り腐った上司のしゃっちょこばった姿を思いだし、こみ上げてくる可笑しさを我慢できず、ルームミラー越しの明智につい、気安く声をかけてしまった。 「GWの関係で人でも足りず、他に手が空いている人間も居なかったのでね。仕方がありません」 車内で早速、参考書類を広げだした明智は、幾分硬い表情でミラー越しに俵田をちらりと見やった。 「そ、そうで有りましたね、失礼いたしました」 冷ややかな、と言うほどではないが、色素の薄い明智の瞳で軽く一瞥を受けた俵田は、あわてて居住まいを正した。明智が少し頭を押さえながらふ、とため息を付き、書類から車窓へと視線を移すと、この最北の地の遅い春の象徴である桜が目に入った。 「・・・ここでも、桜ですか・・・」 「は、そうであります。先頃のGW中には桜を皮切りに、春の花が一斉に咲き始めそれは見事な物であります」 「そう・・・ですか」 どこか所在なさげに答える明智を後目に、やっと会話のめどが立ったとばかりに俵田は旭川の『花の名所』の説明を次から次へと語り始めた。明智はというと、適当に相づちを打ちながら手元の書類に没頭する振りをしていた。 「警視は旭川を観光されたことは?」 「いいえ。学生時代はスキーで何度か北海道を訪れましたが、後は仕事がらみでしかありませんね」 何とも抑揚の無い声で、やんわりと明智は俵田に会話の打ち切りを促したのだが。 「ああ、それじゃあちょっとだけ遠回りしましょうか?近くの公園が今、桜がちょうど見頃なんですよ」 「いえ、お気遣いは結構です」 その声はまさしく瞬殺ブリザードであったが、当の俵田は大物というか、鈍いというか。明智にかまわず押し続ける。 「フライトの時間には十分間に合いますって。東京の桜も綺麗だったでしょうが、旭川の桜も見事なもんなんですよ」 俵田の車が、ちょうどさしかかった信号を市内の高台にある円山公園へと向けてハンドルを切った。 「いやあ、自分もGWに家族サービスできなかった分今度の土日にかみさんと子供を連れていってやろうと思いましてね」 敵情視察って奴ですよ、とがはは、とおおらかに笑う俵田を見て明智は 『日本の平均的サラリーマン家庭における休日のお父さんの小さな幸せと悲哀』 ・・・を、連想してしまったので。それ以上あらがうことをやめた。 『円山原始林の北側に位置する円山公園はグランドや野球場、テニスコートなどさまぎまな運動施設が集まっているスポーツのメッカとなっております。また隣接する北海道神宮境内とともに市内でも古くから桜の名所で、日本気象協会の桜前線の標本木となっているソメイヨシノがあります。5月の花見シーズンにはサラリーマンから学生、家族連れまで大勢の人たちでにぎわいます。公園内には動物園もあり、動物園内の遊園地「子供の国」は子供たちの人気の的です。』 ・・・などなど。北駐車場入り口にある観光案内看板を読みながら明智は深いため息を付いた。 『休日のおとうさん』の俵田にしてみれば、こちらの北海道神宮に近い場所より子供の国周辺の方が気になるだろうと、30分後の待ち合わせを決めて、駐車場入り口で明智は一人降りたのだった。明智にしてみれば、実は「今年の桜」は有る出来事を思い起こさせるキーワードだったので・・・本当は見たくなかったと言うのが本音なのだが。かといって駐車場で一人待ちぼうけというのも癪に触る気がして。明智は仕方なく北海道神宮境内に向かって歩き始めた。 古くからの桜の名所と言うこともあり、境内は平日の昼間にしては人通りでにぎわっていた。明智は鳥居に近い古木の下のベンチに腰をかけ、うららかな日差しの元遅い北国の春を謳歌するように見事に咲き誇る桜の古木をぼんやりと見上げた。 “俺は焦らないから。明智さんのペースでゆっくり自分の心を認めてよ―――― ” 唐突に、はらりはらりと散る花びらの幻視と、ここに居ないはずの少年の声を感じて明智ははっとあたりを見回して、馬鹿な、と自嘲した。 ああ、もう。だから桜なんて見たくなかったんですよ・・・。 ほかに手の空いている部下が居なかった―――表向きは北海道くんだりまで警視である自分が出張した理由を、明智は周囲にそう告げてはいたが、本当の理由はほかに有ったのだ。明智を色々な意味で悩ませる事柄と距離を置きたかった。考えないように仕事に忙殺されては居た物の、庁舎の皇居に面した窓から外苑を目にする度に思い出さずには居られなかった。出張で距離を置いたつもりでも、こうして桜を目にすることでその事柄は、昔よりも少しだけ大人びた少年の形をして明智を追いかけてくるのだ。 違う空の元で自分の心と向き合えば、出口のない思いに答えが出るかも知れない。と、前向きに覚悟を決めた明智は、再び薄紅色に煙る桜に目をやり一月近く前の桜にまつわる出来事を思い起こした―――。 金田一 一と初めて出会ったのは、私がロスでの研修を終え警視として警視庁捜査一課の第三係を束ねる事になってから初めての冬だった。それ以来、彼自身が殺人事件を呼び込んでいるんじゃないか、と冗談にでも思える程、私の担当する事件はおろか外国も含め方々であらゆる凶悪事件の関係者に金田一は名を連ねて行った。彼は祖父譲りの卓越した推理で真犯人を暴き事件を早期解決に導くという、警察機構内部でも評判の希有な一般人となって行った。かくいう私も、金田一とは最悪の出会いだった・・・とは言う物の、数々の事件で彼とともに行動するうち、年齢が一回りも違う彼に対して好敵手に対する奇妙な友情が芽生えていったのだ。 その彼が突然の家出を決行したのは去年の夏だった。それから後、高校をドロップアウトして各地の放浪を始めたと聞いた時も私は大して驚かなかった。 “まあ、彼のような世間知らずにはそれも良いかも知れませんね。元が規格外なんですから、今更規格外の事をしでかしても驚きはしません。何の目的もなくだらだらと進学して周囲に迷惑を掛けるより、彼の人生には余程有益かも知れませんよ?” 私が部下の剣持にふと漏らした言葉を聞いて、彼は何も言わずに笑ったという。もちろん、剣持に漏らした『彼の選んだ道』への感想は本心からだった。彼の様な非凡な才能を持つ人間に奇行は付きものと言うことを―――私は、決して少なくはない一流のステイタスを持つ友人知人、その中でも一握りの『とびきりのサクセスストーリー』を持った人々との交友関係の中で学んだのだ。唯だらだらと『お仕着せの教育』を受けるよりも金田一曰く『やりたいことを見つける』ための今のブランクはこの先、彼の持つ無限の可能性のために必要だと―――そう、思った。そして遠からず、少し疎遠になった彼自身の口からではなく、第三者から彼の持つ無限の可能性が開花を迎えた事を私は聞くのだろう。そう、思っていた―――。 金田一と私の関係が予期せぬ変革を迎えたのは、今年の二月。遅れに遅れた課の新年会で倒れ、私は金田一の看病を受けるという失態をやらかしてしまった。 発熱から何とか回復し目覚めた日曜の朝、事も有ろうに私は金田一から『恋の告白』をされてしまったのだ。 “俺、あんたのこと好きだったみたい。今度のことでよーく解っちゃったv” 同じ男性、それも一回りも目上の自分に対してのあまりにも軽い告白。病後の私はその真意を確かめる気にも、まともに取り合う元気もなく、丁重にお断りします、と口にするのが精一杯だった。そんな私を金田一はどう思ったのか。彼が高校を中退し、バイトに明け暮れ始めお互い疎遠になっていた時期が嘘のように、何かと理由を付けては頻繁に私の前に現れるようになった。お互い肝心な『告白の真意』には触れようとはせず、押されては牽制し、はぐらかしては距離を保つと言う、パワーゲームにも似た微妙で奇妙な友人関係。私はどこかでそれを楽しんでいたのかも知れない。 だがそれも長くは続かず、ある時私は正体の分からない苛立ちに任せ切り込んでしまった。 “好き、なんて軽い言葉、よくそんなにほいほい口に出来ますね。嫌がらせのつもりでしたらもういい加減飽きてきませんか?まあ、もっとも、はなっから本気で取り合うつもりも有りませんが” “・・・そうだね。口に出したら確かに、軽い単語だよね。でも、本当はあんたにもちゃんと嫌がらせかそうでないのか、理解出来てるはずなんだ。あんたそれを見ようとしていないだけなんじゃない?” そう笑いながら口にした彼の顔は私の見知らぬ大人の顔だった。まるで、答えは私の中にある、と、挑まれているような気がして癪に触ってしょうがなかった。 “・・・解りました。本当に私が好きだ、と言い張るのでしたら・・・試してみますか?” “試すって?” “SEXしてみますか?と言ってるんです” 嫌がらせならば、“男とSEXする現実”をたたき付ければ後込みして逃げ出すだろう。元々彼が年相応に女性に興味を持っていたことを知っていたから。愛だ恋だと口に登らせてはいても、私も含め元々リベラルな性嗜好ではない人間には同じ性別という壁は簡単には越えられない筈だ。そう、私は思った。 だが、私の思惑とは裏腹に、金田一は大きな瞳をさらに大きく見開いて・・・笑ったのである。 “いいよ、してみよう。明智さん。俺、あんたに触りたい。” そう言い終わり、笑顔を消してしまった彼の顔からは何の表情も読み取れなかった。少し背伸びした金田一と交わした口づけは、とてもぎこちなくて。背中に回された彼の手に、我知らず身をすくませていたらしい。 “は・・・っ” 口づけの合間に漏らした吐息と同時に、金田一がするりと私から体を離した。 “・・・やっぱり、やめた” “・・・” “ごめん、今日は帰るよ” 帰り際一度だけ金田一は振り返り、背を向けて立ちすくんだ私に独り言のようにつぶやいた。 “・・・あんたが本当に俺に触りたいって思ってくれなきゃ・・・意味が無いよ・・・” その後2週間近く、金田一は私の前に現れなかった―――。 彼が再び私の前に現れたのは、4月らしく暖かでうららかな春の日だった。 “せっかく桜も咲いてるんだから外で食べよう” と、差し入れの茶巾寿司を手に警視庁に現れた金田一に、私は無理矢理皇居外苑に連れ出されてしまった。 平日とはいえそれなりの花見客で賑わっているで有ろう千鳥ケ淵を避け、比較的静かな桜並木の下のベンチに腰を下ろした。 “あ〜、すっげえ綺麗。どう?お花見がてら外に出てきてよかったでしょ?” “そう・・・ですね。まあ、気分転換ぐらいにはなります” “花見と来たら、やっぱお寿司でしょ〜?vはい!はじめちゃん特製茶巾寿司〜v” “困りましたね、胃薬を切らしてるんですが・・・” “あ、そゆこと言う〜!?” 等々。金田一のお手製だという寿司を勧められるままに食べながら、たわいもない会話をいくつか交わした。互いに先日の出来事など無かったように・・・。 一通りの話が尽きて、互いに目の前に広がる桜並木を前に黙ってしまった。その無言の時間が妙にいたたまれなくて・・・。私は少しうつむいて、日差しを受けて薄桃色に煙る桜の元、木下闇を見つめた。 “・・・明智さん、俺、行ってくるから” “・・・いつ、帰って来るんですか?” “わかんない・・・。けど、当分明智さんの顔、見れないから。会いに来たんだ” “そう・・・ですか” 彼に送る言葉を探したが何故か喉の奥が詰まったようで言葉が出てこなかった。 “じゃ、ね。” そう言ってベンチから立ち上がり懸けた金田一の腕を、私は・・・思わず掴んでいた。 “明智・・・さん?” びっくりして振り返った金田一の瞳が、私の言葉を待つ。が、自分でも何故とっさに彼の腕を掴んでしまったのか・・・本当に解らなかったので。私は困惑したまま金田一の瞳を見返してしまった。 “明智さん・・・” 金田一は・・・なんだか泣き出しそうな・・・困った顔をして、自分の腕から外した私の手を、両手で祈るように包み込んで、柔らかく笑った。 “ねえ、明智さん。俺は、ちゃんとあんたが好きだよ。先の事は誰にも解んないけど、今はあんたを好きな気持ちは変えらんないし、変わらないから” “そんな事、誰も聞いていません” やっと出てきた言葉は、困惑した思いをすり替える様なつっけんどんな言葉で・・・。それでも彼は気にしないようににかっと笑って続けた。 “明智さん。・・・俺は焦らないから。明智さんのペースでゆっくり自分の心を認めてよ―――― ” そう、言い終わると彼は、じゃあまたね、と手を振って薄紅に染まる並木の下へと駆け出していったのだ―――。 あれから一月あまり。金田一からの連絡はまだ無い。 あのとき、何故旅立とうとする彼の腕を掴んでしまったのか。 ぎこちないキスを交わしたあの、夜から 彼と離れていた時間が、見ないようにしていた答えを とっくに私に告げていたのに。 あの時、認めたくなかった心の中の答えを ちゃんと伝えられなかったから 私の腕は無意識に金田一を引き留めたのだ。 私を好きだと口にする 彼の気持ちに甘えて 奇妙なパワーゲームを楽しみながらも 始めてもいない事の、終わりが来ることを恐れていた。 正体の分からない苛立ちの不安は それ、だったのだ、と。 「なんて事だろう・・・」 出口がない、と、逃げていた答えが、こんな簡単な事だったなんて。明智は遅い春を今が盛りと咲き集う桜の枝を見つめてつぶやいた。 「私も、本当は彼に触りたかったのか」 胸の内に長い間蟠っていた想いが、北国の春の光の中に見る見る内に融けて行く。いったん自分の気持ちに整理が付いてしまえば後はなんと言うこともない。金田一が帰郷したら正直に今の気持ちを伝えれば良いのだ。 人の気持ちは移ろいやすく、不確かな物であるのは承知の上だ。正直にうち明けて、今頃何を言う、と、拒絶されればそれまでだが、気付いてしまった気持ちをそのまま置き去りにするはもっと嫌だと思った。 暖かな日差しの中、ぴりりと肌を刺す桜の季節独特の大気を胸にいっぱい吸い込んで静かに目をつむると、あの日の『東京の桜』が、柔らかな花弁を風に散らして一つ、又一つと五月の晴天にとけ込んで行く様な気がした。 「こんなところで口あけて寝てると、花びらで窒息しちゃうぜ?」 突然懸けられた声に驚いて、明智が目を開けるとそこに、作業着姿の金田一が立っていた。 「へへ、お久しぶり、明智さんv」 声を懸けられた当の明智はしばしぼうっとして金田一を見つめたままだ。 「明智・・・さん?」 訝しんで身をかがめて明智の顔をのぞき込む金田一の頬に、明智のスラリとした綺麗な指がかかり・・・いきなり、ギュッとつねった。 「痛ててててててっっっ!ちょ、ちょっと!明智さん、なにすんのっ!?」 「・・・こんなところで、何をして居るんですか、君は」 「何って・・・アルバイト。さすがにチャリで北海道まで来ちゃうと軍資金尽きちゃってさぁ」 つねられた頬をさすさすとさすりながら、金田一は東京で別れた時と同じ笑顔で・・・明智の大好きな大きな瞳を明智からそらさずに答えた。 「金田一君・・・」 「え?」 それは、一瞬。 花見で賑わう人々が、一斉に桜を見上げていてほしい、と明智が願った、刹那の時間。 日焼けした金田一のくちびるに、素早く明智の唇が、重なった。 「あ??え????あ、明智、さん!!??」 「・・・今度の旅が終わったら、早く東京に帰っていらっしゃい」 「明智、さん、それってあの・・・」 「伝えたい事が、あるんです」 明智がにっこりと微笑んでベンチから立ち上がると同時に、入り口の辺りから金田一を探す俵田の声が聞こえてきた。 「・・・ぉい。金田一!おっ、明智警視もここにいらしたんですね。いやあ驚きましたよ。子供の国の辺りの開花具合を見ていたら、動物園前で掃除なんぞしてる金田一に出くわしまして・・・。警視がこちらにいらしてるって言ったらこいつ急に駆け出しちまって」 「俵田くん、フライトの時間も差し迫った事ですし、そろそろ出発しませんか?」 「え、もういいんですか?その・・・」 「いいんですよ、俵田くん。金田一くんとはいつでも東京で会えますから」 明智の言葉に金田一は・・・まるで真夏の向日葵の様な笑顔を見せた。 では、と境内を後にしようとする明智に金田一が言葉をかける前に、明智は振り返り・・・ 「いずれ、東京で」 と、晴れやかに笑った。 帰っておいで。 君の街に、君の場所に。 そして始めよう。 二人の新しい 季節を―――――。 『待ってますから・・・』 事情を知らず運転席で首をひねり続ける俵田をよそに、明智は車窓から見上げた立夏の蒼天に、そっと胸の内でつぶやいた――――――――――――。 |
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