兆しのシーズン

『忘れらない女性(ひと)はいますか?』
 

 まるで何かの呪文のように時折ふと、頭を何かの言葉が過ぎることは誰だって有るものだ。
 それが明智にとってはたまたまこの言葉−−なにかの歌か、古い雑誌の見出しかきっとそんな物だろう−−だっただけだ。
 警視庁の明智のデスクに届けられた一通のエアメール。その差出人の名前を目にしたとき、学生時代に知り合った年上の女性の面影を明智はありありと思い出すと共に、不意にこの言葉が頭をよぎってしまったのだ。


 忘れられない女性・・・確かにそうかもしれない。この歳になった今でも、鮮烈な彼女の生き方生気に溢れたほほ笑み、そして・・・・10年前のあの日の出来事は、まるで昨日の事のように記憶の中のファイルから取り出すことが出来る。
 甘く、そして耐え難く苦い思いと共に、この先も思い出すのだろう。
 −−−今なお鮮やかに私の内に棲む彼女のことを−−−。




「なぁ〜美雪〜。頼むからもう勘弁してくれよう」
「だ〜め!はじめちゃんったらあんなに寝坊しないでねって言ったのに、二時間も遅刻してくるんだもん。お陰でシネフェスで見たかった映画見逃しちゃったじゃない!」
 それはいつもと変わらぬ日曜日。金田一は美雪と待ち合わせをして、渋谷のとある映画館で開催されるシネマフェスティバルに行くことになっていた。ところが、いつものように寝坊したことによって、美雪が見たかった映画の上映時間が過ぎてしまったのである。
 罰として金田一が「友達の誕生日プレゼントを探す」と称してファンシーショップ巡りに付き合わされたとしても仕方がない事だった。
「だからってもう何軒目だと思ってるんだよっ!俺だってなぁ我慢の限界が・・・」
 金田一の前を歩く美雪の足がぴたりと止まる。
「わかった。次のお店の入り口でまってていいわよ。でも、その代わり・・・」
「その代わり?」
「プレゼント代金、はじめちゃん持ちだからね?いい??」
「え〜っ!そりゃねぇよ美雪〜!」
「じゃあ、も〜ちょっとあっちこっちに足を延ばしてみようかなぁ〜?」
 にんまりと美雪が笑う。何をどう考えても、今日は寝坊してきた金田一が悪いのだ。だって美雪は何週間も前から今日のシネフェスを楽しみにしていたのだから。
「・・・・・・わかった。わかりましたよ!その代わりあんま高いのは駄目だかんな」
「うふふ、後でパフェもお願いね〜♪」
 してやったり、とにこやかにファンシーショップの中に消えていく美雪を見送りながら、金田一は何気なく向かいの店に目をやった。
 そこはどこにでもある、ありふれた小さなギャラリー。ちょうどなにかの展示会が行われているらしく、カップル、または若い女性が連れ立ってドアから出入りしていた。
 ファンシーショップの店先でぼんやりしているのも何だかな、なので金田一にしては珍しくギャラリーの前まで行ってみる事にした。
「さらしな水稀・・・《アクアウィータ》・・・人形展・・・?」
 ギャラリーの入り口には小さな看板が置いてあり、人形展と言うことが分かった。
 その小さな看板の、一画に有る人形の写真。「月天子」と紹介されている写真に、金田一はふと目を止めた。
 
 あれ・・・?この人形ってどっかで・・・?

 それは少年の人形だった。白い練絹のような面に銀の瞳に銀の髪。ガラスの瞳は、何者をもおそれる事なく、見詰める者を見返して・・・儚なげで美しい四肢の中に潜む若さ故の高慢と自信。その人形は、確かにどこかで見知ったことが有るような気がして、金田一は看板から目が離せなくなってしまった。
「どうぞ、宜しかったらお入りになってくださいな」
 突然背後から涼やかな女性の声がして、金田一は飛び上がらんばかりに驚いた。
「え?あ、いいです、俺、待ち合わせてるだけなんで・・・」
 振り返ると涼やかな声のイメージ通りの凛とした美女が立っていて、にこにこと金田一を見詰めている。年の頃は30歳位だろうか?女性にしてはすらりと背が高く見事なプロポーションで、上品そうなブランドのパンツスーツを誂えたように着こなしていた。
「そこのファンシーショップに入ってるガールフレンドとお待ち合わせかしら?」
「え、ええ、そうですけど・・・」
 ふーんと女性は考え込み、ぽん、と手をたたいて金田一に言った。
「じゃあ待ち人がいらしたら、是非御一緒にお入りになってくださいな。お茶もごちそうしますから」
「ち、ちょっと待ってください。お茶なんて、俺そんな・・・」
 少し強引なその女性の提案に慌てて金田一が言うと、
「あら!私の作品の写真を熱心に眺めてくださる若い男の子なんてめったにお会い出来ないんですから、是非実物を見たご感想をお聞かせして戴きたいですわ!」
 なんのてらいもなくにこにこと語りかけながら女性が金田一に一歩近付いた。と、何故か急にバランスを崩し、咄嗟に金田一が片手で支える。
「ああ、ごめんなさいね、ありがとう。時々言うことを聞いてくれなくって」
 言われて初めて、その女性が杖を付いているのに金田一は気が付いた。
(この人、足が・・・?)
「いいえ、大丈夫っすか?」
 金田一の問い掛けに女性がにっこりと笑顔で答える。
「申し遅れてしまったわね。私は早良水稀。しがない人形作家よ」
「あ、俺・・・じゃなかった、僕、金田一っていいます」
「じゃあ金田一くん、後でガールフレンドと一緒に覗いて頂戴ね!お茶の用意をしながらまってますからね」
 そう言うと、早良水稀は右手をひらひらと振りながらギャラリーの奥に消えてしまった。後に残された金田一は、突然現れた美女に誘われた事を美雪になんと説明をしようか、と苦笑混じりに考えていた。



「じゃあ、早良さんは最近までニューヨークにいらっしゃったんですか?」
「ええ、そうなのよ。・・・私の事は水稀って呼んで下さっていいわよ、美雪さん」
 金田一が美雪を伴って入ったギャラリーの中は、外から眺めるよりも案外広かった。その中に置いてある展示作品の人形一つ一つを水稀の案内で見て回る事になった。
 美雪は意外にも金田一が早良水稀にお茶に誘われた事を喜んだ。美雪の話によると、早良水稀こと「さらしな水稀」は最近、若い女性を中心に人気が出てきた新進の人形作家で、海外でその才能が認められ国内でも少女誌はもとより、ファッション雑誌やお堅い経済誌にまでその作品が紹介されるほどの売れっ子人形作家なのだと言う。そして、マスコミ嫌いでめったに顔を出さない事でも有名・・・らしい、と美雪が購読している少女向け雑誌の特集に書いてあったそうだ。
「うわあ、感激です!」
 ちょっと大袈裟に感動してみせる美雪の横で、金田一がちょっとだけ肩を竦める。金田一の幼なじみの少女、七瀬美雪はちょっとだけミーハーな所が有るのだった。
「それにしても水稀さんの人形って、なんかすごく生き生きしててリアルっつーか・・・俺、嫌いじゃないっすよ」
 水稀の作品を初めて目にした金田一は、素直に感動の声を上げた。水稀の人形は金田一の苦手な「ぴらぴらした少女趣味なだっこちゃん人形」とはちょっと違っていた。それなりに華美ではあるが、どの作品も思ったよりも大きくしっかりしたボディと、生き生きとした生命力に溢れていた。綺麗な夢見る表情の人形もいれば、悲しみに暮れる泣いている人形もいた。不機嫌な顔、怒っている顔、または無表情で無機質な表情の人形もいた。だが、その総ての作品が「生きる事への謳歌」を歌って居るような・・・芸術音痴の金田一にも水稀の作品人気の一端が分かったような気がした。
「はじめちゃん、失礼よ!そんな言いかた」
「あらいいのよ。ありがとう!専門家の小難しい批評よりも、金田一くんの率直な感想の方が嬉しいわ」
 水稀は金田一の無遠慮な物言いに、にっこりと艶やかにそして嬉しそうに笑って言った。
「さ、金田一くん。これがそうよ」
 ´月天子´と金色のネームプレートが置かれたその人形はギャラリーの一番奥の小部屋に、一つだけガラスケースに入って展示されていた。
「うわあ、きれーい!!これが有名なデビューのきっかけになったお人形なんですね」
「ええ。とあるコンペに出展したこの子が、たまたま賞を戴いてね、それで人形作家って言うのもおもしろそうだな、って始めたのがプロになるきっかけだったのよ」 和やかに談笑している二人を横目に見ながら、金田一は月天子を見詰めた。
 ガラスケースの向こうから金田一を見詰める、その瞳。儚なげで美しい夢見るような人形の四肢の中に潜む若さ故の高慢と自信。先程店の前のポスターから感じた鮮烈なその印象が、生の迫力となって金田一の目の前に有った。それにしても、と金田一は考える。一体自分の知っている誰に似ているというのだろうか?
 ちょうどその時、ギャラリーの受付らしい女性が水稀を呼びに来た。
「悪いけどちょっと席を外すわね。後で感想を聞かせてね、金田一くん」
 茶目っ気たっぷりに金田一にウインクしながら言うと、水稀は表へと消えて行った。
「ねえねえ、はじめちゃん。このお人形、本当に綺麗よねえ」
「そうかあ?なんかすんげえ生意気そうな面してて俺、こいつ嫌い」
「あら、そこがいーんじゃないの!脆くってはかない美しさの中に、何者にも犯されないような凛とした意志が有って・・・本当に素敵よねぇ」
 幼なじみのガールフレンド・・・とは言っても淡い恋心を抱いている美雪にこうも手放しで褒められると、たとえ相手が人形とは言え、ちょっと面白くない金田一だった。
「へ〜、そーゆーもんですかね〜っ」
「・・・・・・でも、なんだかこのお人形、誰かに似てる気がするのよね・・・・・・」
 ´月天子´をしげしげと見詰めて美雪が言った。
「美雪もそう思うのか?」
「うん。誰だったかなぁ?」
 二人してガラスケースの前で首を傾げて居るところに水稀が新しいゲストを連れて戻って来た。
「お待たせしてごめんなさい、金田一くん、美雪さん。こちらは、私の学生時代のお友達で・・・・・・」
 戻って来た水稀がすべてを言い終わらない内に、連れてきた新しいゲストの顔を見て、金田一と美雪は同時に叫んだ。
「明智警視〜!?」
「君達は・・・」
 見知った顔を突然その場に認めてどう反応して良いのか明智は一瞬戸惑った顔を見せ、そして露骨に厭な顔をした。厭な顔、は金田一とて同じ事で。金田一の方も、あからさまに不快感を顔に浮かべてそっぽを向いた。
 なにせ、明智と金田一は雪の降る北海道の背氷村で初めて出会った時に対立してからと言うもの、とかく因縁浅からぬ間柄で、つい2ヶ月前、金田一が殺人犯として追われるというとんでもない事件に巻き込まれた時、身の潔白を証明するために逃げる金田一を陣頭指揮を取って危うい所迄追い詰めたのは、他でも無いこの明智健悟警視だったのだ。
 結局は金田一の咄嗟の機転と明智の英断で「追われる」事は無くなり、冷静な情況で推理が出来、事件を解決に導く事が出来たのだ。だが、今回はどうもお互いに「痛み分け」と言う感がぬぐえない。ライバルと言えば聞こえが良いが、とどのつまりはお互いに「天敵」と言う訳だ。
「あら、お知り合い同士だったの?健悟?」
 何も知らない水稀だけが、凍り付いたその場で親しそうに明智に問い掛けて、そして楽しそうに笑った。


「まったく、さっきの健悟の顔ったら!貴方が人前であんな顔が出来るなんてね、知らなかったわ」
 水稀は先程金田一達と出くわした時の明智の顔をおもいだして、紅茶のカップを手にまだくすくすと笑っていた。
「ひどいですね、水稀」
 そんな水稀にティーカップを口元に運びながら、明智が苦笑する。金田一達は明智の登場でお茶を辞退して早々に引き上げていた。
「あら、褒めているのよ?健悟。そのポーカーフエィスを人前で崩して、あからさまな嫌悪の表情を見せられるるようになったなんてね。10年前じゃ考えられない事だもの」
「褒めてませんよ、それじゃ・・・」
 かちゃり、と水稀がカップをソーサーの上に戻して、真面目な顔付きで明智を見詰めて言った。
「いいえ。10年たって、どんな厭なおじさんになってるかな、と思っていたけど・・・凄く良い顔付きになったわ、健悟」
「10年・・・ですからね。私も少しは変わりますよ」
「・・・いつまでも´負けを知らない子供´のままじゃ無い、って訳か。案外、さっきの金田一くんとかが関係してたりしてね」
「・・・水稀」
 痛い所を突かれた明智が、ごほん、と一つ咳き払いをして、水稀をちらりと睨んで見せた。睨まれた当の水稀はどこ吹く風、とにっこりと明智にほほ笑みを返し、旧知の二人は、顔を見合わせて笑った。
「でも、良い顔付きに成ったのは本当よ。なんだか創作意欲を刺激されちゃうわ」
「月天子、のようにですか?」
「あら、10年前の貴方がモデルって事、気が付いた?ご感想は?」
「とても良い作品だと思いますよ、水稀。でも、私はあんなに綺麗でも尊大な顔付きでもなかったと思いますがね」
 明智の感想を聞いた途端、水稀が又くすくすと笑い出した。
「あなたと来たら、そんな所は本当に変わって無いのね・・・」
「それはこっちの台詞ですよ、まったく」
 ひとしきり笑った後、水稀は10年前の遥かな時間を懐かしむように言った。
「こうして二人でおしゃべりしてると、お互いの間に10年もの時間があったなんて、なんだか信じられないわね」
「ええ。本当に・・・」
 ぽつ、と小さな雨粒が、曇り模様の空から落ちて、ギャラリーの応接室の窓をたたいた。二人はしばし無言で春雨の音を聞いていた。
 チン、と水稀がカップの淵を指で弾くと、それは澄んだ音を響かせた。
「・・・10年は、長いようで短かったわ」
「そう・・・ですね。貴女と最後に会った日のことを・・・つい昨日のように思い出せます」
 明智の言葉にほんの少し、寂しそうに水稀が笑った。
「エアメールを読みました。水稀、あなたは本当に日本に帰ってくるつもりなのですか?」
「ええ、そのつもり。手紙にも書いたけど、N.Yのアトリエを引き払ってこっちに住むつもりよ」
「だが、10年前の事を忘れて居ない者もいます。 有名人の貴女は、退屈なゴシップに飽き飽きしたマスコミに取って格好の獲物だ。過去を面白おかしく暴き立てるでしょう」
「私は自分の過去を、恥じ入るような物では無いと今でも思ってるのだけど・・・もしそうなっても、あなたには迷惑はかけないつもりだから安心して頂戴」
「私はそんな事を言ってるんじゃ無い」
「ごめんなさい、健悟。言葉が足りなかったわね。私にもマスコミを押さえるだけの、有力なパトロンの一人や二人は居るから大丈夫よ。それに・・・どんなことがあってもここは私の生まれた国だもの。いつまでも傷付く事を恐れていては前には進めないでしょ?」
「水稀・・・」
 真っすぐに明智の目を見詰めて、毅然とそう言い切る水稀を前に、明智は言うべき言葉は無いと悟った。
「相変わらず、貴女は強いですね。私も何か力に成れることがあればいのですが」
「ありがとう、健悟。その言葉だけで十分よ」
 水稀の言葉にやわらかな拒絶の気配を感じ、明智の胸は少しだけ傷んだが、その思いを拭うように明智はほほ笑んで見せた。
「それで、こっちにはいつまで滞在予定ですか?」
「ここでの10日間の個展が終わったら、一旦N.Yに帰るわ。多分夏前には戻って来れる筈よ」
「では貴女を食事にお誘いする機会は、残っている訳ですね?」
「ええ、そうね!楽しみにしてるわ」
 そう言うと水稀は立ち上がって、明智の手を握った。「こうやって貴方と昔のようにお話することが出来て本当に嬉しかったわ」
「私の方こそ、また貴女と会えるとは思っていなかった。ありがとう、水稀」
 明智が力強く水稀の手を握り返した。明智の言葉に水稀がほほ笑む。
「こっちに帰って来るときは、私の新しい家族も一緒なの。是非紹介したいわ。会って・・・戴けるかしら?」
「・・・ええ、勿論ですよ」
「ありがとう、健悟」
 水稀は明智の頬に、ちゅっと音を立てて感謝のキスをした。
「嬉しいとキスをしたくなる癖、そのままなんですね」「あら!もちろんよ。それに、アメリカじゃ誰もこの癖のことなんて咎めなかったしね」
「それはまあ、本場ですからね」
 苦笑しながら明智もまた、水稀の頬にキスを返した。

「あ、そうだ、健悟」
 ギャラリーの入り口で明智に傘を手渡しながらを見送っていた水稀が、急に思い出したように声をかけた。
「なんですか?」
「今日会った金田一くんとは親しいのかしら?」
「親しい・・・訳ではありません。私の不肖の部下が個人的に親しくしているようですが、キャリアの私が一介の高校生と親しいなんて訳が無いでしょう?向こうが勝手に私達の仕事に拘わってくるだけで、そのたびに迷惑してるんですから」
 水稀の口から再び金田一の名を聞かされて、ちょっとむっとした表情で明智は答えた。不肖の部下、とは、勿論剣持の事だ。その明智の様子に、水稀が目を丸くして「本当に貴方って」といって笑い出した。
「で、金田一くんがどうか?」
「ちょっと、金田一くんにお願いしたい事が有ったんだけど、そのようすじゃ健悟を介してって言うのは無理そうね」
「・・・・・・彼を見て、創作意欲に駆られたんですか?」
「うふふ、当たりよ、健悟」
 水稀がモデルの顔だけでなく、その本質をも含めてイマジネーションを沸かすタイプの作家だということは明智も知っていた。たぶん、金田一の´どこにでもいる平凡な高校生´の顔の裏側に隠れているもう一つの−−類い稀な名探偵の血を受け継いだ、天賦の才能−−と言う本質を見抜いたのかも知れない。
 明智はひとつ、溜め息を付くと水稀に言った。
「詳しい住所や電話番号は私からはお教え出来ませんが、どこの高校に通ってる位ならお教えしますよ?」
 明智の言葉を聞いた水稀は、それはそれは楽しそうに、そして嬉しそうに笑った。




 しとしとと降り始めた春先の雨は、いつの間にか本降りになって来ていた。予期せぬ明智の登場で水稀とのお茶を辞退した金田一と美雪は、渋谷駅にほど近いファミレスに陣取って、折からの雨をやり過ごす事に決めた。金田一はホットコーヒー、美雪は金田一に奢って貰う事に成っていたパフェを美味しそうに食べながら口を開いた。
「それにしても明智さんの人脈って凄いわよねえ。今をときめく人形作家、『さらしな水稀』とお知り合いだなんて本当、びっくりだわ〜」
「学生時代の知り合いって言ってたじゃん」
 美雪の口から明智の名前が出るたびに、ちょっといらいらしてしまう金田一は、さも興味なさそうにどうでもいいような受け答えを返した。
「あら、そればっかりじゃ無いかもよ?あんなに自然に名前を呼び合えるなんて、もしかしたら恋人同士だったかも知れないじゃない!」
 金田一はさもどうで良いように、カップの中に残ったコーヒーをずず〜〜っと盛大に啜った。
「仮にそうだったとしても、水稀さんN.Yにいたんだろ?明智のヤローは日本で、どーやって付き合えんだよ?」
「あ、そっか。でもこの再会で、また新しくお付き合いが始まったりして!美男美女ですてきよねえ〜」
 美雪が年頃の女の子らしく、美男美女の大人のロマンスを夢見てうっとりと溜め息を付く。金田一は、は〜、そうですかね、と横を向いてけっ、と面白く無さそうに一人ごちる。
「でね、はじめちゃん。あの´月天子´だけど、やっぱり明智さんがモデルなんじゃないのかしら。今も美形で格好良い人だけど、学生時代の明智さんって、あんなふうな美少年だったかも!!」
「ふ〜ん。昔っからくそ生意気で、厭味な面してたんだ。どおりであの人形、俺が気に入らないはずだよなぁ〜」
「もう、はじめちゃんったら!なんで明智さんの事となると、そんなにムキになるのよ」
 溜め息混じりの美雪の抗議は、「だって、俺、明智嫌いだも〜ん」と言う金田一の一言の元に一蹴されてしまった。
「・・・・・・ふ〜んだ。軽井沢の事件で、明智さんに追い詰められて負けそうになっちゃったもんだから、強がり言っちゃって」
「なんだとー、美雪!一体俺がいつ・・・・・・!」
「あら、何か聞こえたかしら〜?あ、私ちょっとトイレに行って来るから〜」
 ほほほ、とごまかし笑いをしながら、美雪は喫茶店の奥へと消えた。
「まったく、美雪のヤツ〜!言うに事欠いて俺が明智のヤロウなんかに負けそうになっただなんて・・・」
 負けそうになった、なんて不名誉な言いかたは、金田一にとってはまったくもって気に入らない事だった。だが、先だっての軽井沢と東京間を殺人事件の容疑者として追われた事件でも、金田一の行動を読んで先手を打って来る判断力、何百人と言う部下を自在に動かす統率力に泣かされたのは事実だった。そして土壇場で金田一が明智に充てたメッセージに気が付いて、金田一が推理の為に自由に動けるように取り計らってくれたのも明智。
 そして、自殺した真犯人、都築哲雄から都築の娘に腎臓を移植するために、一警察官としての職務を逸脱してまで、人命尊重のために遺体を東京の病院まで運んだのも明智だったのだ−−−。

 そりゃあ俺だって明智さんのことは、刑事としてはすげえ人だと思ってるけどさ・・・人の顔見りゃイヤってほどの頭の良さと厭味を振り撒きながら突っ掛かって来るんだぜ?好意的に思えって方が無理じゃないか。それに、俺はあいつなんかに負ける気はしねえし。今度推理合戦だ、なーんて突っ掛かって来やがったら、あの取り澄ました鼻っ柱、へし折ってやるんだかんな!

 金田一は、空っぽになったコーヒーカップを忌ま忌ましそうに乱暴にソーサーに戻すと、そばに置いてあったグラスの水を一気に喉に流し込む。が、運悪く気管に入ったと見えて、げほ!がほ!とみっともなく咳き込んだ。
「もう、何やってるのよ、はじめちゃん!」
 いつの間にかトイレから戻って来た美雪が呆れた顔で金田一の背中をどんどんとたたいた。
「う・・・うるへぇ!」

 まあ、めったに拘わり会いになることもないだろうけどさ・・・

 金田一はなかなか収まらない咳きに辟易しながら、´出来ればこれ以上明智には拘わりたくないもんだ´と、半ば祈るように思った。



 だが。
 運命は、その歯車を容赦なく、ゆっくりと回して行く。
 金田一と明智の関係の、一つの転機とも言うべき陰惨な事件の舞台となる中世の城に、宿命の楔を打ち込むために。
 
 今はまだ、
 これから待ち受けている長く辛く、狂おしい運命の事を、二人は知らない。
 互いが互いの半身である、という事も、この日の二人は、まだ知り得なかった−−−

〜to be continued.〜







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