花の都東京からとーく遠く離れた孤島(と、言っても一応大小の島が点在する諸島のひとつ、なのだが)の一画に、高遠遥一の叫びが木霊する。 「ああ、神様、どーしたらいいんですかー!!あのガキ、一体なんなんですか〜!!!」 狭い事務所の中を高遠が行ったり来たり歩き回るたびに、古い木の床はぎしぎしと鳴り響き、目地にたまった埃が、新春の朝の光の中で舞い踊った。 高遠は、はっと我に帰り、おもむろに玄関の引き戸をがたがたと開け放ち、埃を追い出しながら自分の席に座り込んだ。 はーーーーーーーーーーっっっっ! と長い溜め息を一つついて、そのまま机につっぷして、今目の前で起きた出来事を回想してみる。 今入ってきたガキ・・・金田一とかいったっけ?どーみても高校生だよな。五年振り・・・って言ってたっけ。じゃあ、そのときあいつ中学生じゃないか。そんな馬鹿なこと・・・あのお堅い明智さんが、そんなインモラルなことするわけないよね。 でも、あの明智さんの、悲しくてせつなそうな顔。ただの知り合いのガキにあんな顔見せるかな・・・ ああでもない、こうでもないと一人悶々と悩んでいた高遠の耳に、ばたばたと走ってくる音が聞こえてきた。 「?」 振り向くと、息を切らした明智が、事務所に走り込んで来た所だった。 「あ・・・明智さん?、一体ど」 「明智さんっっ!待って!話しはまだ終わって無いよっ!!!」 高遠が、明智の名前を言い切らない内に、がたがた!!と金田一が続けて入ってきて、狭くて古い事務所が悲鳴を上げる。 「私のほうの話しは、もう終わりました。もう、きみは東京にお帰りなさい!!」 「やだ!!せっかく会えたのに、あんたのことが好きだから、忘れることなんて出来なかったから、こんなとこまで追っ掛けて来たのに、なんでそんなコト言うんだよ!!」 「君とのことは、私の過ちでした。申し訳なく思ってます。だから、私のことは放っておいて・・・」 「いやだ!あんた、俺のこと、覚えていてくれたじゃないかっ!5年も経ってんのに、一目で判ってくれたじゃない・・かっ」 言いながら、金田一は今にも泣き出しそうな顔をして明智を見た。 「・・・それは・・・」 しばしの沈黙。その間に話の展開に付いて行けず、固まっていた高遠がはっ!と我に帰った。 「あのぅ・・明智さん?(汗)」 はっとして明智は高遠の方を見ると、そのままつかつかと高遠の側までやって来て、腕を取って立ち上がらせて言った。 「私は、今彼とお付き合いしているんです。だからもう、今更のこのこやって来て、私の幸せを壊さないでください!!」 そうきっぱりと言い放つと、高遠の唇に自らの唇を重ねたのである。 「!!!!!!!!!!」 な・な・なにが起こっているんだっ!!明智さんが、僕にキス!?ああ、思った通り、柔らかくて、甘くて・・・・っって、そんな場合じゃないって〜!! 「・・・見ての通りです。私のことなんかさっさと諦めて東京へお帰りなさい」 「嘘だ、そんなの!その人ただの明智さんの部下なんでしょ!?その人、ぜんぜんあんたの好みのタイプじゃないじゃない!」 ふふん、と鼻を鳴らして金田一が高遠を見た。 一人ぽーっと突然のキスの幸せな余韻を噛み締めていた高遠だったが、金田一の失礼な言葉にはっと我に返った。 何だと!?このクソガキ!明智さんに片思い中の、繊細な僕のハートを土足で傷付けてくれちゃって〜〜〜!!!むかついたっ!! 高遠の中の何かが、ぷち!っと音を立てて切れた。 高遠は掛けていた黒ぶちの眼鏡をおもむろに外すと、自分の腕をつかんでいた明智の腕を引き寄せ、がばっと抱き締めた。 「あ、高遠く・・!?」 「しっ!いいから、僕に任せてください」 素早く小声で明智に耳打ちすると、高遠は明智の華のような唇に自分の薄い唇を重ねた。 「ちょ、ん!ふっ・・・た・・高と・・」 浅く、深く、まるで情熱の所在を確かめ合うような高遠の絶妙なキス。(遊び人だったのはどうやら本当だったらしい) 夢にまで見た愛しい明智の唇は、水蜜桃のように甘かった。行きがかり上でのキスとはいえ、高遠は憧れの上司とキス出来た幸せにうちふるえて・・・ついつい、本気を出してしまった。 突然、抱き締めていた明智の体からカクン、と力が抜けて、高遠にしな垂れかかって来た。 「あ・・明智さん?」 どうしたのか?と小声で尋ねる高遠に、 「すみません、あの・・腰に・・・来てしまって・・」 と明智が消え入るような声でつぶやいて、真っ赤になってしまった顔を高遠の肩に伏せた。 ひょっとしてそれは、僕のキスに感じて下さったってことですか〜〜〜!?ああ、こんなに・・耳まで赤くなってしまって!なんってかわいい人なんだろう!!! 幸せでにやけそうになる頬を(いかん、一応事態はシリアスなんだから)と引き締めながら、高遠はそのまま明智の体を支え、空いたほうの手で、額に懸かる前髪をさらりとかき上げ、茫然としている金田一に、にやりと笑って言った。 「金田一くん・・・でしたね?あなた。見ての通り、この可愛い人は、今は僕のものです。昔明智さんと何が有ったかは存じませんが、僕にとってはどうでも良いことです。僕たちはご覧の通り愛し合っているのですから。」 「うそ・・だ、そんなの!」 ふるえる拳を握り締めて、金田一が高遠に抱き締められた明智を見詰める。 その視線からそらすように、明智の柔らかな髪を抱き締めたまま、きっぱりと高遠は告げる。 「あなたは・・・遅すぎたのですよ。金田一くん」 金田一の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。その瞳を、臆する事なく見詰め返し、頭ひとつ分高い位置から冷笑を浮かべながら高遠は見下ろした。 「そう・・・分かったよ、明智さん。あんたを思う気持ちをずっと止められなくて、忘れられなくて、やっとあんたの居場所をつきとめて、こんな所まで来たのに・・・ばかみたいだよな、俺。あんたが、新しい男を、たらしこんでたなんて、考えても見なかったよ・・・」 明智の体が、びくりと反応して振り返りそうになるのを、高遠はさりげなく押し止めた。 「勝手に自己嫌悪に陥られるのはかまいませんが、この人を馬鹿にする言いかたは、僕が許しませんよ」 その言葉に、今度は金田一がぎろり!と高遠を睨み返す。 「あんたも、せいぜい捨てられ無いように気をつけてた方がいいよ。なんせその人、簡単に俺のおやじから息子の俺に乗り換えちゃって、バレたら簡単に捨てて逃げちゃうような薄情な奴だからさ!」 バシっ!!と金田一の頬が鳴る音が事務所に響いた。高遠の押し止めた腕を払って明智が金田一の頬を打ったのだ。頬を打たれた金田一よりも、明智のほうが悲痛な顔をしているように高遠には思えた。 怒りと、悲しみと、困惑と。やる瀬ない思いを秘めた瞳で、それでも気丈に金田一を睨み付ながら明智は、 「帰りなさい。」 と、一言だけ言い放った。 「・・・さよなら!!」 金田一が、入って来た時と同様、ばたばたと振り返らずに港の方に駆けていく。 金田一の背中を無言で見詰めながら見送っていた明智の体が、ぐらりと傾き、高遠は慌てて駆け寄り体を支えた。 「明智さん、だ、大丈夫ですか?」 「ええ・・・」 高遠の腕につかまって、なんとか立ち上がる明智だったが、その手は冷たく、小刻みに震えていた。 「・・・ありがとう、高遠くん」 青ざめた顔で、それでも微かに笑って高遠に答える明智がなんだかせつなくて。けなげで愛おしくて。 高遠は思わず、そのまま明智を抱き締めてしまった。 「高遠くん?」 「え?ああ!す、すみません、なんだか、手が勝手に」 赤くなり、慌ててぱぱっと手を離した高遠をみて、明智がくすっと笑った。 「あなたも案外、良く分からない人ですね。いつもはそんな調子なのに、さっきみたいに、格好良くて、とんでもなく上手なキスしてみたり」 「え?いえ、それはそのぅ・・・」 そんなの、相手が明智さんだったから、本気になってキスしてしまったんです、と言う言葉を必死で飲み込みながら、高遠はぽりぽりと頭を掻いた。 ひとしきり、くすくすと笑った後、溜め息を一つついて、明智は言った。 「さっきは・・いきなりすみませんでした。でも、君の機転のお陰でたすかりましたよ。ありがとう」 「い、いえ、僕はそんな」 「妙な事に巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません」 「いいえ、途中からは、僕が望んでで巻き込まれた事ですから・・」 にっこりと笑う高遠の顔を、明智が辛そうに見て、そして目を伏せて言った。 「さっきの出来事の、説明を・・聞きたいですか?」 「え・・?」 「訳も聞かないままじゃ、納得出来ないと思います。でも・・・出来ることなら、今の出来事を忘れていただけませんか?高遠くん」 俯いたまま、明智が高遠に懇願する。その姿がとても辛そうで・・・。でも、と高遠は考える。 そりゃ、忘れて上げたいけど、でも、明智さんとキスしたことも忘れるってことで・・このまま、ただの部下と上司に戻るって事・・だよな。冗談じゃないぞ、思い続けて8ヶ月。せっかく進展しそうになったんだ。このチャンスを逃しちゃったら、この先、いつ巡ってくるか分かんないぞ!告白するのは今しかない。がんばれ、遥一!明智さんにきちんと打ち明けるんだっっっっ! 高遠は思いっきり自分に気合を入れ、はやる気持ちを押さえながらゆっくりと口を開いた。 「忘れる・・・なんて出来ません。僕は、貴方とキス出来て、とても嬉しかったんです」 「高遠くん・・・」 「確かにさっきのキスは、金田一とか言う子に見せ付けるための演技でした。でも、僕が言った言葉は嘘じゃないんです、明智さん。」 「高遠くん、私は・・」 「過去に・・貴方と金田一くんとの間に、何があったかなんて関係ありません。僕は、今の貴方が、好きなんです」 「私は、金田一くんが言った通りのひどい人間なんです。それに、もう私は、恋愛なんて・・・」 「人の言葉なんて信じません。僕は、今僕が見ている目の前の、明智健悟のことが好きなんです!!」 高遠は、明智の手を取って引き寄せた。 「明智さん・・・僕は・・」 明智の瞳が困惑に揺れた。高遠は、その瞳に吸い寄せられるように、顔を近付けて・・・・・ がっっっしゃ〜〜ん!! いきなり、何かが倒れて、ガラスが割れるような大きな音が玄関の方から響いてきて、高遠はぴきっと固まってしまった。 「ああ!引き戸が・・・」 明智があわてて玄関の方へと駆け出した。 ひょっして僕って、ボロい引き戸以下の存在なんだろーか・・・ 固まったまんま、その場に残された高遠は空しく思った。 気を取り直して高遠が玄関に出てみると、あわれ、年代物の木の引き戸が道に倒れて、その寿命を全うしてしまっていた。 「ああ、ガラスが・・木枠も・・・これはもう駄目みたいですね。レトロな趣があって好きだったんですけど・・・」 残念そうに明智が言った。 ざ・・残念なのはこっちですよぉ・・・せっかくの僕の告白&キスシーンが・・・だいなしだ(涙) 内心、涙にくれながらも、箒とチリトリを取って来て、けなげに後片付けをする高遠くんなのだった。ああ、あわれ・・・ 「高遠くん」 「はい?」 折れた引き戸の木枠を拾いながら、明智が言った。 「あなた、稟議書の書き方、分かりますよね?ここ片付けたら、サッシ戸に代えるための本社提出用稟議書、書いて置いてくださいね。」 「あ、あの、明智さんはどこに・・・」 「私はこれから、発電所の方に顔を出して来ますから。あなたはこのまま、営業所勤務しててくださいね」 「は、はあ・・」 そう言うと明智は、事務所の中に入って、何事も無かったように本日の業務の外出の支度を始めた。 なんだか、このまま何事も無かったように終わってしまうのだろうか、と悲嘆に暮れながら一人しゃがんで黙々と片付けをする高遠に、書類のケースを小わきに抱えた明智が声をかけた。 「仕事が終わって、夕食を食べた後、私の部屋に来て頂けますか?高遠さん。・・・すべて、お話ししますから」 「え?」 と、高遠が立ち上がって振り向いたとき、明智の姿はもう、事務所に無かった。 しばらくして、明智の乗った営業所の社名のついた白いライトバンが事務所裏の駐車場から、島の主要幹線道路の方向へ走って行くのが見えた。 高遠は、箒とチリトリを手にしたまま・・・ただ立ち尽くして明智の車を見送った。 |