ようさまの森




「うっわーっ!くたびれた〜っ!!」
 村と駅を結ぶ日に数本しかない路線バスから降り立った青年――とは言え、少年の面影の残る・・・金田一はじめ――は、長旅で疲れたのか、思いっきり伸びをして体をほぐしました。それもまあ、無理のない話です。東京から新幹線で3時間、駅で路線バスに乗り換えさらに一時間半の山の中に、今回の目的地である秋川村はあったのですから。村は駅から平野を抜け、川を渡り、山道をぐんぐん登って行った所に開けた標高350Mのちょっとした高原地帯でした。
「あー・・・思った通りすっげえ田舎。でも標高が高いだけあってさすがに風は涼しいや」
 折しも季節は夏で。喧噪と人いきれ、熱に炙られたアスファルトで蓋をされた都会の風に慣れた金田一の体に、田や森を吹き抜ける風が心地よい刺激を与えてくれます。降るような蝉時雨と夏緑の息吹に背を押されるように金田一は歩き始めました。


◇◇◇


 さてさてここは秋川村の片隅、なだらかに続く丘陵地の緑の田圃のど真ん中。こんもりと茂った小さな森のほとりに建つ古い田舎屋の中で、一人の青年がなにやら小難しい古文書とにらめっこをしておりました。
[どうじゃ、八雲。謎は解けたかの?]
 と、突然、天井の太い梁からぶら下がった長い白蛇がみょーんと延びて、うつぶせに寝転がって古文書と格闘中の八雲に『だけ』聞こえる声で言いました。
「どわっ!!!」
 八雲と呼ばれた若い男はびっくりして飛び起きます。
「ああもう、夜刀様、びっくりするじゃないですかあ」
[何を今更びくついておるのじゃ!八雲。それよりも古文書は解読できたのか?]
「はあ、まあ、大体の所は・・・」
[何とも頼りないのお。おまえ本当に民俗学者の端くれなのか?古文書もまともに読めんとは・・・]
「んなこと言ったってねえ夜刀様、これ保存状態が悪くて所々ページが欠けてるし虫食ってるし眠いし目開かないし・・・」
 そう言いながら八雲が寝不足で開かない目をしょぼしょぼとこすりながらもぐもぐと答えます。夜刀様はぷりぷりと怒っていますがぼーっとしているのは仕方のないことでした。なにせ八雲は東京から秋川村まで夜通し車を走らせ、遠縁と言うことで事で借り受けた今はもう無人の高遠家に到着するやいなやすぐさまようさまの森に向かい、その足で資料の古文書を村の古社から借り受け撃沈するまで夜通し古文書とにらめっこをしていたのですから。
[文句を言うな、若い者がだらしのない。大体おまえは・・・]
「あー、はいはいっ、所詮僕は三流の学者で体力も有りませんからねえ。だからおかしなは虫類なんかにとりつかれるんです〜」
[失礼な!儂はいにしえの神じゃぞ!]
 なおもぶつぶつと梁の上から文句をたれるしゃべる白蛇の名は『夜刀様』。ちなみに夜刀は『やと』と読む。そしてこの夜刀様にお説教をたれられているのは八雲樹。東京の大学で民族学をやっている学者さんです。実は本人も知らなかったのですがこの高遠家の遠縁でありました。
 たまたまなのか必然なのか、高遠家のある秋川村より遠く離れた北関東でフィールドワーク中の八雲に不幸にも夜刀様がお取り憑きになったのは2ヶ月前。曰く、
『儂は長い間、ある国の片田舎で神として祀られて来た。ある時高遠という家の娘の病気を直したのが縁で人に化けてその娘を妻に娶り、子供を設けたのじゃが、いくさが起こり、儂は妻子を残して出兵したんじゃ。そして武運つたなく死んでしもうたんじゃが、神である儂の魂魄は生き残り、残してきた妻と子供のことが気になって故郷を目指すうち迷子になってしもうてのお。長い年月を経てこの姿にやっと戻れたとき、お前に出会ったのじゃ。ここであったが四百年目じゃ!儂を故郷につれてゆけ。連れてゆかんと・・・祟らせてもらう!』・・・だ、そうで。元々「夜刀ーやとー」の音韻で呼ばれるのは元を正せば『国栖』『土蜘蛛』等と同じく大和朝廷に『まつろわぬ民人』への卑称と言いますから非道い話しです。ですからこの八雲の目の前に鎮座まします気の遠くなるほど生きていたという夜刀様も、実は大昔大和朝廷に追われたまつろわぬ人々の神様だったのかもしれません。因みに夜刀様の言う所の戦、八雲が詳しく話を聞きますとなんと四百年も昔、超超有名所の関ヶ原の合戦らしく・・・。
 そんな歴史のある(?)蛇神様に祟られては溜まったもんじゃ有りません。八雲は泣く泣く大学の夏休みをまるまる夜刀様におつきあいする事になったのでした。
 本人も知らぬ高遠家の血が自分を呼び寄せたのだ、と訳もなく強気の夜刀様とひょんなことから「蛇神付き」となってしまった民俗学者の八雲は、夜刀様の記憶を頼りに古地図は元よりありとあらゆる文献を探り、「やと」の音韻の残る地方を限定してやっと探し当てたのがここ秋川村、童神―わらべがみ―「ようさま」を祀る森だったのです。
[・・・これ、八雲!お主はいつまでぼ〜っとしとる気じゃ?その昔妻と暮らしたこの場所に帰ってきたと言うに・・むろん妻は人の身であった故、百年ももたなったで有ろうが、異形故とうに狩られてしもうたかと諦めとった我が子の気配が森に有る。にも関わらず、人ではない儂の目にも我が子の姿が見えぬとは。ようようここまで帰って来たと言うに・・・。おお、ひと目だけでも我が子に逢いたい親心、気持ちは焦るばかりなんじゃ〜」
 よよよよよ、と泣きの入ってきた白蛇を前に、八雲は夜刀様の思いっきり人任せな無責任さに心の中で悪態を付きたくなってしまいました。 
[・・・なんなら景気付けにひとかぶりしてやろうかの?]
 八雲の心の内を察したのか、今は亡き妻と子の身を案じているマイホームパパの短気な蛇が自分の横でとぐろを巻いてあんぐりと大きく口を開けています。その姿はとうていそんな由緒ある神様には見えなくて・・・八雲はずり落ちるめがねを直しながら大きくため息を付くのでした。
「・・・でもねえ、夜刀様、この古文書に書かれてる『ようさま』って、どーも夜刀様の子供じゃなさそうですよ?」
[なぜじゃ?]
「だーって蛇じゃなくて・・・書かれてるの、鬼のことですもん」
[ばっかもーん!]
 びし!っと夜刀様のしっぽが勢いよく八雲の頭をはたきます。
[蛇神と人間の子は”隠”・・・鬼になるんじゃ!他の国の伝承にも残っとるじゃろうが!!]
「・・・いてて。あ、そういえば大江山の鬼、酒天童子って蛇神と人間の子供って説が有りましたっけ・・・それじゃこの古文書の内容で合ってるのかな?」
 八雲が居住まいを正し、気配は有るのに姿が見えない原因を調べるため借り受けた古文書の説明を夜刀様に垂れようとしたその時、玄関の引き戸が開き金田一がひょっこりと顔をのぞかせました。
「すみません〜。あの、ようさまの森ってここでいいんですよね?」


◇◇◇


「へー、じゃあ金田一君も東京なんですか。お祖父さんの生まれ故郷を訪ねてここへ?」
「ええ。そうなんです。八雲さんは東京の・・・?あ、なんだ、案外近いですよ」
「どこ・・・?ええ?そのケーキ屋さんって美味しいので全国的に有名じゃないですか!うわー、あそこの店長さん兼パテシィエさんってこんなに若かったんですねえ!すごいなあ」
「いや、そんな俺もう22歳だしそんなに若くないですよ。八雲さんこそ有名大学ですごいじゃないですか!」
 ・・・などと。金田一持参の固めに焼き上げブランデーの香り馥郁たるフルーツケーキを、八雲が途中の高速のパーキングエリアで買い込んで来たしょぼい麦茶でお相伴しながら遠い地で出会った同じ東京に住む者同士の会話で金田一と八雲はひとしきり盛り上がるのでした。
「それで、八雲さん・・・その蛇は・・・・・・」
 金田一は先ほどから気になってる二人と同じようにござの座布団にとぐろを巻いて鎮座ましまして会話を聞いているような白蛇の事を八雲に尋ねます。
「え?あ、ああ。これね、ペットなんですよーっ。いやあなんかね、自分の事人間と同じように思ってて、人間と同じように扱わないと機嫌悪くなっちゃうんですよ、ねえ、『夜刀ちゃん』」
 座布団の上の夜刀様が、ははは、と笑う八雲をぎろりと睨みましたが、金田一はそれには気づかず
「へえ?人間と同じように?ですか?可愛がってるんですね。あ、ケーキ食べるかな?」と、小さくちぎって差し出したケーキの欠片を夜刀様に差し出します。夜刀様はちょっと臭いを嗅いでから一気に丸飲みし、おかわりをねだるように金田一の腕に軽く巻き付いて嬉しそうにしっぽを振りました。
(夜刀様、それじゃあ犬だよ・・・)
 八雲は金田一に悟られないように小さくため息を付くのでした。
「俺のじっちゃん・・・金田一耕助って言うんですけどね、終戦間際の徴兵で大陸に行って大怪我して。それが元で自分の名前以外、それまでの記憶失っちゃったんです。終戦直後のどさくさで軍の記録もいい加減でね、自分がどこの出身かも解らなくて。仕方なく焼け野原になった東京に行って記憶のないまま結婚してずっと暮らしてきたんですよ。で、晩年になって軽〜くボケちやったものだから・・・。俺の家、親父もお袋も早くに交通事故で亡くしていなかったから、仕方なくじっちゃんは福祉施設に入ってたんだけど、死んじゃうちょっと前に故郷の秋川村の事思い出したんです」
 八雲は淡々と語るじっちゃんの昔話を聞いているウチになんだか切なくなって来て。涙腺から伝ってきた鼻水を軽くすすりながら金田一に尋ねました。
「でも、どうしてこの場所に?」
「俺、じっちゃん子だったし・・・それに、自分のルーツを見たくなっちゃったんです」
 金田一は照れたようにえへへ、と笑いながら言いました。
「村役場で訪ねたら、金田一の家ってとうに絶えて無くなっていたんですけど、それじゃ仕方がないんでじっちゃんの遺言だけでも果たしちゃおうと思って」
 金田一は、旅行鞄の中から古ぼけた小さな包みにくるまれたものを大事そうに取り出します。
「これじっちゃんが記憶無くしてもずっと持ってたお守りなんです。死ぬ前にこれをようさまにお返ししてくれって俺に・・・」
 古ぼけた包みから金田一が取り出したもの。それはうっすら紅色の丸くて薄い貝殻のような物でした。
「え?これってもしかして・・・」

[角じゃあ!!!]
 
 と、突然、二人のそばで普通の蛇のようにおとなしく猫を被っていた夜刀様がスプリングの効いたとぐろの状態からびょんとまっすぐ硬直し、飛び上がって叫びました。
「うわ、びっくりしたっ!って、へ、蛇がしゃべって・・・!!??」
「うわあ、や、夜刀様っっ!!!」
 今なら何とか見間違いだと言い訳出来るんじゃないかと踏んだ八雲が(どう繕うつもりなんでしょう?)慌てて夜刀様を押さえに掛かります。が、行方不明の(?)我が子の妖気を一身に受け勇んだ夜刀様の気は収まりません。
[おおっ!これぞまさしく我が子の妖気!摩滅して変わり果ててはおるが、これは我が子の角に違いない!これ金田一とやら、なぜにお主がこんな物を持っておるのじゃっ!きりきりと返答せぬかっ!]
 しっぽの先に力を入れぶんぶんと体を揺する夜刀様の姿は、まるで小学校のころ飛び越え損ねてしたたかに足を打った大縄跳びの縄のようです。こうなってしまってはもう、どんな言い逃れも通す訳には行きません。
「ええと。金田一さん、実はですねえ・・・」
 八雲はとほほと盛大にため息を付いた後、事の成り行きを金田一に説明する羽目になったのでした・・・。


◇◇◇


「・・・って事なんですけど・・・あの、信じて貰えますか?」
[こりゃ八雲!信じるも何も、しゃべる蛇という現実がここに居るのじゃ。この人間も信じぬ訳にはいかぬであろう?]
 夜刀様は、あくまでも低姿勢な八雲を叱咤するように鎌首をもたげます。
「あ、それはもう夜刀ちゃんの言うとおりですよ。世の中そんな不思議な話が有ってもいいんですよね、うん」
 金田一は驚くほど平然と八雲の説明を静かに聞き、そして一人納得したようにうなずきました。
「って・・・あの?」
「実はね、俺のじっちゃん、夜刀ちゃんの子供・・・ようさまって鬼からこのお守り貰っちゃったらしいんですよ」
[なんと、お主の祖父の時代には我が子はまだ姿を保っておったのか。じゃが、この角の有様はなんという・・・。それにどうして気配のみ残し、姿を隠してしまったのか]
「あ、それを金田一さんがくる前に言おうと思ってたんですよ。ええと、この古文書によりますとですねえ・・・」
 八雲は解読した古文書にあった昔話を語り始めました・・・。


 昔昔のお話です。
 頭に角の生えた異形の鬼の子が秋川村におりました。その鬼の子は普通の子供より成長が遅く、年老いたやさしいおっかさんが死んでしまってもまだ子供の姿のままでした。
 鬼の子と同じくらいの歳の子供が大人になり、白髪になって腰が曲がった頃、鬼の子はようやく大人の姿になりましたが、それきり歳を取ることは有りませんでした。
 鬼は、農作業の忙しい時期には、その自慢の鬼の力でもって村人を手伝い、そしてなにより子供達と遊ぶことが大好きでしたので、温厚な村の人々にも大層愛されました。花を愛し、人喰いなどと恐ろしい食生活の代わりに甘い菓子を年に数度食べるだけで生きていくことが出来る優しい鬼。ようさまと呼ばれる鬼は、長い間秋川村で村人と一緒に仲良く暮らしておりました。
 ある時、恐ろしい流行病が村を襲い、鬼の大好きな子供らも次々に病に伏しました。鬼は、自分の頭に生える鬼の力の源である二本の角をやすりで削って、その粉を流行病に倒れた村人に飲ませました。すると、見る間に流行病が直っていきます。鬼の角は流行病の特効薬だったのです。
 そうして、長かった鬼の角が削りすぎて赤い貝殻のように頭に張り付いただけになった頃、鬼は深い眠りに落ち目を覚まさなくなりました。
 鬼の力である二本の角は、鬼にとって命の源でも有ったのです。その命を削って鬼は大好きな子供らを、村人の命を救ったのでした。
 鬼に命を救われた村人達は、大層感謝し、そして目を開かなくなってしまった鬼を悲しみ、村はずれにあった鬼の家のすぐそばにある森に鬼の祠を建て、何時目を覚ますとも解らぬ鬼を手厚くお祀りしました。
 それから長い年月が経ち、秋川村のはずれにある小さな森に祀った祠から鬼の姿は消え失せてしまいましたが、その森は“ようさまの森”と呼ばれるようになり、疫病から村を救った神、そして子供の守り神―童神―のすみかとして新しく祠が建てられ末永く村人に愛されるようになったと言うことです。
むかしこっぽり。


「この古文書に書かれた年代が確かなら、関ヶ原の合戦の時代から二百年後位頃の話ってことで、逆算すると夜刀様の話とつじつまが合うんですよね」
「だけど、そんな遠い昔に神様になっちゃった鬼が、どうやって戦前の昭和の時代にじっちゃんと出会うことが出来たんだろう?」
[察するに、力を使い果たした我が子が長い間神として祀られる内に人々の崇敬の念でその妖力もわずかずつ蘇ってきたのじゃろうのぉ]
 異形故に狩られてしまったかと思っていたわが子は希有な幸運によって村人に愛され仲間として受け入れられ、そして我が子も異形の自分を受け入れてくれた村人に恩を返した事実を知り、夜刀様は感涙にむせびながら金田一にそう語るのでした。
「って事は、何らかの理由で金田一さんのお祖父さんにその角を渡してしまったんでせっかく蘇った姿も保てなくなったって事か・・・?これはもしかすると・・・」
 るるーと感涙を流し続ける夜刀様の隣でうむむと考え込んでいた八雲がおもむろに口を開きます。
「夜刀様、泣いてる場合じゃありませんってば。金田一さん、夜になったら一緒に森へ行きましょう。もしかしたらようさまに会えるかもしれませんよ?」


◇◇◇


 田舎の夜は、暗く、昼間の蝉の代わりに遠く近くで蛙の大合唱が聞こえます。しっとりと夜露の降りた夏草を踏みしめ、二人の人間と一匹の蛇が懐中電灯の明かりを頼りに夜の森を進みます。五分も歩かぬ内に少し開けた森の中央、ようさまの祠の前にたどり着きました。村人がお供えした御菓子の乗った三方のはじっこに、金田一が祖父から託されたお守り―鬼の角―と、持参したケーキの残りをお供えします。
「さ、夜刀様、ようさまの気配に呼びかけてみて下さい」
[うむ!]
 白蛇の夜刀様は懇親の力を込めてようさまの気配に現れ出でよと念じます。微力ながら八雲も、そして金田一も夜刀様の横で祠に向かい合掌し祈ります。
 と、それまで賑やかだった蛙の大合唱がぴたりと止み、祠の前の空間が蜃気楼のように揺れだしました。しん、と水を打ったような静けさの中、蜃気楼は次第に人の姿を取り、二人と一匹の目の前に横たわった一人の青年の姿が現れたのです。
 青年のその姿は、鬼と言う名に似つかわしくなくたおやかで秀麗。すうと通った鼻筋に赤い唇がひときわ印象的に目を引きます。
 しかしながら・・・。その綺麗な額は、頭の左の角があったであろう未だ癒えぬ傷口からじわじわと流れ出る血潮に痛々しいほど染まり、双眸は開く気配も有りませんでした。
[おお、おおお・・・我が子よ、我が血を分けた愛し子よ。汝が力の源、角が帰り越したぞよ、疾く目覚めよ・・・]
 夜刀様は、祠から角をぱくりと銜えると、ようさまの傷口にそっと宛いました。
 するとどうでしょう。角を当てた傷口はゆっくりと柔らかな光に包まれ、光が消えた時にはようさまの傷はすっかりと癒えていたのでした。とうにその命を無くしていたかのようなようさまの青白い頬に、すっと赤みが差してきて・・・切れ長の瞼がゆっくりと開きます。
「・・・こう・・すけ?」
 金色に輝く不思議な鬼の瞳が、まっすぐに金田一をとらえ尋ねます。
「こうすけ、帰ってきたんだね。長い間待ってたよ」
 ほっそりとしたようさまの腕が金田一にむかってゆっくりと伸ばされて・・・。
「ようさま・・・俺・・・ごめん、じっちゃんじゃないんだよ」
 金田一の言葉にようさまの喉がひくり、と動きます。
「・・・こう・・・すけじゃ、ない・・・?」
 大きく見開かれたようさまの目から、涙があふれました。
「うん。耕介は俺のじっちゃんなんだ。ごめん、ごめんね、ようさま。ずっとじっちゃんを待っててくれたんだね」
 ひっくしゃっくと泣きやまないようさまを慰めながら金田一が起きあがろうとするようさまに手を貸します。
[我が子よ。儂がわかるかの?]
 心配そうにのぞき込む夜刀様が問いかけます。
「あ、あなたは・・・あなたのその“気”はもしや・・・お、とうさん?」
 夜刀様に問いかけられたようさまはびっくりしてバランスを崩し、地面にへたり込みそのまま動きません。
「どっ、どうしたんですか?」
 八雲が心配そうに問いかけるのと同時に、ようさまのおなかから盛大な音が聞こえます。
「お・・・・おなかが減って・・・動けません・・・」
 ようさまは世にも哀れな声で泣きながら訴えました・・・・・。

 それからようさまは、金田一がお供えした美味しいケーキをひっくひっくと泣きながらも平らげて、やっと一息ついたのでした。
「耕助と出会ったのはちょうどこんな夏の夜でした。長い年月で僕の妖力が少しずつ回復して眠りと目覚めを繰り返すようになって、目覚めると僕は誰もいない満月の夜に森の周りを散歩するようになってました。そんな夜に、小さな耕介と出会ったんです」
 もそもそとケーキをかじりながら、ときおりぽろりと落ちてくる涙を拭いつつようさまは金田一のじっちゃんの思い出を語ります。その姿が何とも可愛くて。八雲も金田一も、昔の村人がこの鬼を愛した気持ちが解るような気がしました。
「僕が満月の度に目覚めるようになってから、耕介はいつも僕の所に遊びに来るようになったんです」
「・・・じっちゃん、言ってたよ。子供の頃ようさまと過ごした夜の森が、思い出した記憶の中でも一等鮮明だった、って」
 そう金田一が告げると、ようさまは顔を泣き笑いのようにくしゃくしゃにして、金田一を見つめ返しました。
「お父さん。僕は、お母さんが死んでから・・・いえ、生きてる頃から。・・・生まれてこの方ずっと一人でした。村の人たちはこんな僕にとっても良くしてくれて、子供達も一緒に遊んでくれたけど、本当の意味では僕はひとりぼっちだったんです。だって、僕以外、僕のようなものは居なかったんですから。だから・・・流行病が起きて自分が死んでしまうかも知れないのにこの角を薬として差し出したときも、あの世に行ったら異形であったと言うお父さんと、お母さんに会えると思って・・・死んでしまうことが怖くなかったんです」
[よういち・・・]
 夜刀様が、慈しみを込めて初めて我が子の名を呼びました。
「でも、結局我が身は鬼・・・妖の者で。誰一人知る人のない時代に蘇って又、僕は一人で。耕介は、そんな僕の寂しさに気が付いて、ずっと、そばに居てくれるって言ったんです。なのに赤紙が来て僕から耕助を奪って・・・」
「それで、あなたは金田一君のお祖父さんに強力な薬になる角の残りを切り取って渡したんですね?」
「生きて、僕の所に帰ってきて欲しかったんです。耕介が歳を取って死んでしまう短い間だけでも良かった。耕助と生きたかった。なのに、なのに・・・」
 ようさまは又、子供のようにえんえんと泣き続けました。端から見れば、いい年をした大人(鬼ですが)がえんえんと泣く姿は格好の良い物では有りませんが、それほどまでにこの鬼は自分の孤独な心を癒してくれる者を渇望していたのでしょう。
「ようさま、ごめん、ごめんね。じっちゃんは最後まで記憶を無くしてここに帰れなかった事を悔いていたんだよ。何度も何度も、ようさまから貰った角を撫でて涙を流してた。自分が記憶を無くしても生きてこの国に帰れたこと、ようさまのおかげだったって感謝してた。その代わりにようさまと生きられなかった事を死ぬまで後悔してたんだ。だからせめて、角をようさまにお返ししてくれって言い残して・・・」
 いつまで経っても泣きやむ気配のないようさまの肩を抱いて、金田一は優しく続けます。
「ねえ、ようさま。俺じゃじっちゃんの代わりにならないかな?俺と一緒に生きようよ」
「金田一さん!?」
 びっくりして金田一を見る八雲にかまわず、金田一は続けます。
「じっちゃんから子供の頃のようさまとの思い出を聞いて、じっちゃんのようさまを大切に思う気持ちに触れて、俺もなんだかじっちゃんの気持ちが自分の気持ちみたいに思えて。でもそんな夢見たいな話が現実に有るとは思わなかったんだけど、ここで本物のようさまに出会えて。俺、ようさまが好きだよ。ようさまと離れたくないよ・・・」
「え・・・あの・・・」
「はじめ、って言うんだよ。耕助の孫は。金田一、一」
 金田一は突然の提案に目を大きく見開いてびっくりしているようさまににっこりとほほえみ掛けました。
「ねえ、ようさま。俺の所においでよ。それで俺が死ぬまで一緒に生きよう!」
 唐突な金田一の提案に戸惑ったのは何もようさまだけじゃありません。そばで聞いていた八雲も、そして夜刀様も大いに驚きました。
「ちょ、ちょっと金田一さん!何を言うんですか!ようさまはこの森の主で、人間じゃなくて、あなたよりずっと長生きするんですよ?あなたと一緒に行っても結局は一人になってしまって・・・その孤独は長い一生ずっと続くんですよ?」
[いや、八雲よ。儂がこの場所に戻ってきたのはこのためじゃったのかもしれん。よういちよ、お主、人に成りたいか?短い寿命でも自分を同胞として無条件で受け入れてくれる人の世に生きたいか?人に成ることで、永遠に近い孤独から逃れたいか?]
「お父さん・・・僕、僕は・・・」
[その人間と一緒に生きたいのではないか?]
「・・・許して下さい、おとお・・・さん、僕は・・・はじめと・・・生きたい」
 長い沈黙の後、ようさまがそう言うと、夜刀様は満足そうにため息を付きました。
[どうやら答えが出たようじゃのう。八雲よ、後のことは任せるぞ]
「って、夜刀様、何をするつもりなんですか!?」
 夜刀様は、ようさまの肩の上によじ登りながら八雲に言います。
[なにの、今の儂は後一千年ほど修行をせぬと元の神格に戻れぬのじゃ。神として一千年の時を掛けるよりも、親としてしてやれる事を今選ぶのみじゃ。我が子の残りの妖力と、人に変換して今の儂の六十年ほどの寿命を交換してやろうと思うてな]
「でっ、でもお父さん!今の僕の妖力は角を失ったおかげで不安定で、お父さんの寿命と交換しても多分、この先何百年も眠り続ける事になると思います」
[なあに、ここは儂にとっても故郷じゃ。眠りながらでも子供の成長を健やかに見守る位訳は無いぞ。今の姿で人の身になってからの六十年、寿命としては十分じゃろう?よういち、幸せにな・・・]
「夜刀様っ!人の身にって・・・戸籍はどうするんですか!健康保険は?年金は???」
 何とも情けなくも止めようとする八雲を後目に夜刀様とようさまの姿は次第にまばゆい光に包まれ、その光の中から夜刀様の言葉が森に響きます。
[細かい男じゃのう、八雲よ。そんなことでは立派な学者になれん事はおろか嫁も貰われぬぞ。今の世の中はっきんぐーっとか言う便利な魔法が有るじゃろうが。まあ、高遠の遠縁のものを犯罪者にする事は出来ぬから、そっちの方はこの地の眷属に村役場で処理をさせておこうかのぉ・・・]


◇◇◇


 それから。
 人間になったようさまは、金田一と共に東京に行くことになりました。
 転出届を取る際向かった村役場では、どんな神業を使ったものか、ようさまの森の住所でちゃんとした「高遠遙一」の戸籍と住民票が有りました。八雲が心配していた年金も国民健康保険の問題も実際犯罪では有るのですがなんとかクリアされていたようです。



 帰郷がてら二人を東京まで送った八雲がその後、様子を見に尋ねた店ではすっかり現代社会になじんだギャルソン姿のようさまと、店主でパテシィエの金田一が二人仲良く八雲を出迎えてくれます。
 今回ちょっと損な役回りを演じてしまった八雲は“この微笑みが自分の側に有ったなら、もう少し楽しい人生が送れたかも”と、ちょっと惜しいことしたかな、などと幸せそうに笑うようさまを見ながら考えるのでした。
 所在なげにコーヒーカップを手のひらで弄びながら、八雲は今度暇が出来たら主の交代した秋川村の“夜刀様の森”でも尋ねてみよう、と窓際の席からみえる高い秋空に物思うのでした・・・。

はい、久々の更新です(ぱちぱちぱち〜!)っとってもこれ、新作じゃなく高坂まとま様の「ダメ高本」に寄稿したものをお許しを得てやっと転載したものなんです^^;
そろそろ新作を〜とは思うのですがなかなか><;既読の方はお目汚し、未読の人は期待不足でしたら申し訳ない。今回転載を快く許可してくださった高坂まとまさまに感謝と愛をv


2011.3.17 UP